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「女性として生きる道」の系譜 —大木実の詩「糸まきをする母と娘」について—

 今回は、詩人・大木実の「糸まきをする母と娘」という詩について見ていきます。


   糸まきをする母と娘 大木実

  燈火のしたで 母と娘が  
  糸まきをしている
  糸まきをする母と娘の
  影が障子に映っている

  母の両手にかけた糸たば
  糸たばは
  ほそい一本の糸となって
  娘の手のなかに巻かれてゆく
  くるくるくるくる 巻かれてゆく

  母と娘を結ぶ
  一本の糸
  母から娘へ続いてきた
  遠い昔からの一本の糸
  糸まきをする母と娘の
  影が障子に揺れている 


 この詩の語り手は、糸まきをする母娘の影を見ています。そうする内に、語り手の目には、現実に母と娘を結んでいる糸まきの糸ではなくて、別の抽象的な一本の糸が見え始めます。「母から娘へ続いてきた/遠い昔からの一本の糸」という記述が、そのことを表しています。この「遠い昔からの一本の糸」とは一体何なのかが、この詩を解釈する上では非常に重要になります。
 この「一本の糸」について、太古から連綿と受け継がれる命を「糸」に喩えたのだと考える人もいるかもしれません。しかし、実際には、母親が産むのは娘ではなく息子の場合もあり、命の糸は、必ずしも「母—娘」間を結ぶものとは限りません。何より、受け継がれる命をテーマにしたいのならば、それをそのまま書けば良いわけで、糸まきをモチーフとして引き合いに出す意味がありません。したがって、この詩の「一本の糸」とは、命の糸のことを指しているわけではないということになります。
 では、「一本の糸」とは、一体、何でしょうか。ここで、視点を移して、糸まきというモチーフそのものに注目したいと思います。この詩に登場する母娘について、母親は娘に、糸まきのやり方を教えているところであると想像することもできます。娘というものは、女親から、糸まきだけではなくて、家事全般について、色々なことを教わるのでした。糸まきは、その、母親が娘に教えるあらゆることを象徴しているとも言えます。とすると、母親と娘を結ぶ「一本の糸」とは、遙か昔から、母親から娘に引き継がれてきた、家事の方法などにまつわる知恵であるとは言えないでしょうか。いや、「家事の知恵」などとというと、多少矮小化してしまっている感が否めません。「家事の知恵」というのはつまり、女性の領域に帰属する事柄です。ですから、母親が、娘に「女の領域」にまつわる事柄を教え込むのだと言えます。ということは、娘を「女性」として育て上げるのは、母親であると言うことができます。女親が娘を女にして、その娘がさらに自分の娘を女にする—、この詩の「一本の糸」とは、実はそうした「女性として生きる道」の系譜なのではないでしょうか。
 このように、この詩の語り手は、現実に母親の手から娘の手へと巻き取られてゆく糸を見て、連綿と続く「女性として生きる道」の継承に思いを馳せているのだと言えます。

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