山之口貘「畳」を読む
なんにもなかつた畳のうへに
いろんな物があらはれた
まるでこの世のいろんな姿の文字どもが
声をかぎりに詩を呼び廻はつて
白紙のうへにあらはれて来たやうに
血の出るやうな声を張りあげては
結婚生活を呼び呼びして
をつとになつた僕があらはれた
女房になつた女があらはれた
桐の箪笥があらはれた
薬鑵と
火鉢と
鏡台があらはれた
お鍋や
食器が
あらはれた
この詩は、結婚という行為の奇妙さを謳った作品である。作中では、色々な物が畳の上に「あらはれ」るが、この情景はどこか不気味さを湛えている。
作者の山之口貘がルンペン生活を送ってきたという事実を踏まえて、この詩には、結婚をしたこと、豊かな生活を手に入れたことへの「僕」の喜びが綴られている、と読む人がいる。しかし、これは大変な誤読である。結婚して喜んでいるのは、畳の上に現れた「をつとになつた僕」である。この作品では、それを見つめるもう一人の“僕”—つまり語り手—がいる。結婚して嬉しい、というのは自明の事実であり、そこに詩情はない。当たり前の風景を異なる眼で見つめた時、初めて詩は生まれるのである。
この作品では、ただただ和やかなものとして捉えられるはずの新婚生活を、それは色々な物が「畳」の上に現れることである、という独創的な捉え方をすることで、結婚という現象に潜む不気味さを暴き出している。詩人の透徹した眼による、鮮やかな一篇であると言えよう。