山之口貘「鮪に鰯」を読む

鮪の刺身を食いたくなったと
人間みたいなことを女房が言った
言われてみるとついぼくも人間めいて
鮪の刺身を夢みかけるのだが
死んでもよければ勝手に食えと
ぼくは腹立ちまぎれに言ったのだ
女房はぷいと横にむいてしまったのだが
亭主も女房も互いに鮪なのであって
地球の上はみんな鮪なのだ
鮪は原爆を憎み
水爆にはまた脅やかされて
腹立ちまぎれに現代を生きているのだ
ある日ぼくは食膳をのぞいて
ビキニの灰をかぶっていると言った
女房は箸を逆さに持ちかえると
焦げた鰯のその頭をこづいて
火鉢の灰だとつぶやいたのだ

 1946年から1958年までの間、ビキニ(マーシャル諸島の北西部に位置する環礁)では、アメリカによって原子爆弾・水素爆弾の実験が行われた。日本人の食糧もその影響を受け、鮪などが一時食べられなくなった。上の作品は、そのことをテーマとして扱った詩である。
 内容について解説したい。作中には、「ぼく」とその女房が登場する。「鮪の刺身が食べたくなった」と、なぜか言い出す女房。一方の「ぼく」は、水爆実験に対する怒りを抱えながら生活している。ある日、食膳の上の魚を見て、「ビキニの灰をかぶっている」と「ぼく」は言う。彼の頭の中には、寝ても覚めても、水爆への怒りが渦巻いているのだろう。しかし、女房は、「火鉢の灰だ」と呟く。食膳に並んでいたのは、実は高級な鮪ではなくただの鰯だったのである。ここで、この二人の生活が極めて貧乏であることが明らかになる。冒頭の、女房の「鮪の刺身が食べたくなった」は、「でも食べられないから悲しい」という意味合いを暗に含んでいるが、それはビキニの水爆のせいで食べられないのではなく、そもそも鮪の刺身などには手の届かない、かつかつの生活であることを彼女は念頭に置いているのである。
 ところで、山之口貘の作品には、貧乏生活をテーマにした物が多い。しかし、この「鮪に鰯」においては、貧乏は作品のテーマではない。この作品のテーマは、核実験への反対、というものである。貧乏生活の描写は、ユーモラスなオチの役割を果たしていて、反・核実験という強烈なメッセージの印象を和らげ、読者にそのメッセージを受け取りやすくする効果を挙げている。地球規模の過ちに対する大きな怒りの前では、生活の辛苦は詩の主要なテーマにはなり得ないのだろうか。作者の心の中で、二つの題材がどのようなバランスを取っているのか、興味深い。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?