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【小説】ぼくのともだち3完

 傘は返してもらえなかった。
 その日の夜、ぼくはひとりで布団に入った。心がもやもやとしたままで、悲しくてねむれない。
 ぼくのともだち、どうしてるかな。傘、こわされたりしてないかな。しんぱいで落ち着かない。
 どうしてAはいつもぼくをいやな気持ちにさせるんだろう。ぼくのことがきらいなら放っておいてくれればいいのに。
 まっくらなてんじょうを眺めていると、ぼくの髪がそよそよと揺れた。気が付くとぼくの部屋の窓が開いていて、夜の風がしろいカーテンを揺らしている。もしかしてどろぼう? 
 上半身を起こして恐る恐る窓に近付く。そこでぼくは見たんだ。まん丸い月を背に、ぼくのともだちが宙に浮かんでいるのを。ぼくは慌てて窓辺に駆け寄った。

「君、なにしてるの!」
「おう、ただいま」

ともだちは傘の姿から人の姿に戻っていて、ふわふわと浮きながらにこりと笑う。

「あぶないよ! 落ちたらどうするんだよ!」
「だいじょうぶさ、おれは落ちてもしなないんだ。神様だからね」
「なに言ってんの? 早くこっちに来て!」
「わかった、わかったよ」

 やれやれと溜息を吐くと、彼はふいっと宙返りをしてぼくの部屋に入り込む。ぼくはたまらなくなって彼を抱きしめた。

「よかった、無事で。なにもされなかったかい?」
「されてないよ。名前は書かれたけど・・・って、泣いてるの?」
「泣いてない、よ」

 ぼくは慌てて彼からはなれて寝間着のそでで目を拭った。

「しんぱいしてくれたんだよね、ごめんよ。Aがどういう子なのか知りたくなったんだ」
「ぼくはAがいると学校に行きたくなくなるよ」
「そうだね。せっかく同じクラスになったのに、君をからかって楽しむなんてもったいない子だよ」

そう言って彼はぼくの頭をなでて、Aの家で何があったのかを話してくれた。

 黄色い傘だったぼくのともだちは、振り回されながらAの家に帰った。Aは玄関先の傘立てにぼくの傘を突っ込むとそのままほったらかしにしたらしい。
 夜になってAが布団に入ったところで、傘は人の姿に戻り、彼の枕元に立った。

「おれ、きみの傘じゃないよ」
 
 おどろいて声を出すことのできないAを見下ろし、ぼくのともだちはにっこりと笑う。

「びっくりしているね。おれは傘だよ。ほら、おれのうで、きみが急いで書いた名前が残ってる」
「え、な、なに・・・?」
「どうしてこんなことをしたんだい? きみはかまってちゃんなのかな」
「かまってちゃん・・・?」
「ともだちと仲良くしたいだけなのに、ともだちになる方法がわからないからちょっかいを出して喜んでる。それじゃ本当のともだちはできないよ」
「なに言って・・・! なんなんだよ、おまえ!」

 Aは布団をけりあげて立ち上がり、いらだつ様子でぼくのともだちを叩いた。

「どうして叩くんだい? 叩かれたら痛いよ」
「おまえがよくわからないこと言うからだろ!」
「よくわからないと叩くのかい? まるでことばを話せない赤ん坊だね」
「おれのどこが赤ん坊だ! 父さんと母さん呼ぶぞ!」
「呼びなよ。おれはなにもしてない。君が勝手にぼくを取ってきて、ぼくに名前を書いて、自分の物だって言い張ったんだ。もしかして物に心がないと思っているのかい?」
「あるわけないだろ! 物なんだから!」
「そうだね。物はしゃべったりしないからわからないね。だけど、あの黄色い傘は君がいつもからかって遊ぶあの子のために、あの子のお母さんが買ってくれた物だ。あの子はその傘を大事にしていた。君はその二人の気持ちをふみにじったんだよ。それは悪いことだ。反省しないといけない」
「やだね、おまえなんなんだよ。消えろよ」

苛立ちを隠せないAは、ぼくのともだちを叩いたり、蹴ったり、むりやり押したりした。

「痛い、痛いってば」
「だからなんだよ! 早く消えろ!」
「自分以外の気持ちを想像できないみたいだね」
「そんなことするだけむだだ。おれはおれなんだから」
「そうか・・・じゃあきみには毎晩こわい夢を見る呪いをかけてあげよう」
「は?」
「ことだまって知ってるかい? ことばにやどる力のこと。おれは人間じゃないからね、その力が少しばかり強い」
「なに、言って・・・頭おかしいんじゃないの?」
「そう思うならご自由に。ただ、きみにはたしかに呪いをかけたからね、反省するまでつづくよ?」
「そ、そんなわけないだろ!」
「嫌なことを言うと相手はどう思うか、叩いたり蹴ったりすると相手はどう思うか。きみには他人を思いやる気持ちと、想像力が欠けているから、しばらくこわい夢の中でその気持ちを味わうといい。いいかい? 誰かを傷つけると必ず自分に戻ってくるよ。人はそれを「いんがおうほう」って言うらしい。いい言葉だよ、覚えておくといい」

 そうして彼はAの部屋の窓から飛び出すと、茫然とするAをほったらかしてそのまま風に乗りながらぼくの家まで帰ってきたらしい。

「いんが・・・おうほう?」
「そう、因果応報。人は良いことをすれば良い報いがあり、悪いことをすれば悪い報いがあるということ」
「本当かな? よくわからないよ」
「じゃあ君はAに優しくしたいって思うかい?」
「あまり・・・思わない」
「そういうことさ」

 彼は得意げに腰に手を当て、ぼくを眺める。

「さて、おれはもうひとつ。きみがお母さんに後ろめたい気持ちを持っていることも知ってる」
「うしろめたい?」

彼はうなづいた。

「おれが傘になっても、君のこわれた傘は神社に残ったままだ」
「そう、だったね」
「残念なことにおれはもう傘になってきみのそばにいることはできない」
「え、どうして」

ぼくがたずねると彼は小さく息を吐き出した。

「時間なんだ。おれは渡り神としてここにやってきた」
「なに、渡り神ってなんなの?」
「うん、渡り神は土地をめぐって、季節が変わることを知らせるんだ。居心地が良いとその土地にとどまって栄えをもたらすこともできるけれど、おれにはまだその力がない。おれのお父さんとお母さんは、本当はおれの親じゃなくて、おれより先に生まれた渡り神なんだ。その二人がとどまることを決めない限り、おれはついて回るしかないんだよ」
「そ、んな・・・」
「おれはもういなくなるけど、君ならだいじょうぶ。こわれた傘のこと、正直にお母さんに話せるよな?」

 ぼくはどう返事すればいいのかわからなくなって、うすく口を開いたまままばたきもできなかった。
 ぼくのともだちがいなくなる。いつも一緒に遊んで、ぼくをはげまして、おうえんしてくれていたともだちが。
 
「ね、」

彼の手が肩にふれ、ぼくの体はぎくりと小さくふるえた。

「お母さんに、は、話したらここにいてくれる?」

声がつまって上手く話せない。そんなぼくの気持ちに気付いたのか、彼はやさしくほほえんだ。

「それはできない。でも言わないと君の傘はこわれたままだよ」
「いいよ、傘なんていらない。きみがいてほしい!」
「無茶言うなよ。おれはまだあの二人に守られているんだ。おれだけここに残っても力不足で消えてしまう」
「消え、る」
「それにともだちならおれの他にもいるだろ? おれがいなくても君は元気にやっていけるさ」

 ぼくの目からしずかにひとすじの涙が流れた。今日はよく泣く日だ。けれどAに傘を取られた時の気持ちとはちがう。胸の苦しみは同じなのに、なにかがちがった。

「君にもことだまをさずけるよ。君は思いやりの心を持っているからだいじょうぶ。君はだいじょうぶ」
「だいじょうぶじゃ、ない、よっ」

彼のえがおがとてもさみしそうに思えたから、ぼくは泣くのをがまんしようとしたのに失敗した。何度がまんしようと思っても、あとからあとから押し出されるように涙がぽろぽろとあふれてくる。

「ありがとう」

彼がぼくの両手をにぎる。彼の顔を見ると彼も目をうるませていて、月明かりが彼の目をいつもよりきらきらとかがやかせていた。

「君がいてくれて、おれも楽しかった。おれがもっと力をつけたらまたきっとここに戻ってくるから、その時は」

彼が言いかけたことばを最後まで聞かないまま、外からものすごい風が舞い込んだ。おどろいたぼくが強く目を閉じ、風が去った後に目を開けると、そこにはもう彼のすがたはなかった。

「え、もういないの・・・?」

ぼくの声と、ぼくの手をにぎっていた彼のぬくもりだけが残る。まどの外を見上げたけれど誰もいない。となりの神社を見下ろすと、木々が風に吹かれて葉擦れの音をひびかせていた。

「さよならも言ってない」

 ぼくのひとりごとが辺りにとけて消える。返事はなかった。
 ただ、まどの外にはとてもきれいで大きなまんげつが浮かんでいたんだ。




「へぇ、それでパパはまたその子に会えたの?」
「いいや、それっきり会うことはなかったよ」
「夢だったんじゃない?」

 大人になったぼくはもうすぐ入園する自分のむすこをひざに乗せ、大きなキャンバスに絵筆をすべらせながらほほえむ。

「どうだろうね。だけど彼がすきだって言ってくれたからパパは絵をかくことをやめなかったし、こうして絵をかくことを仕事にできたよ」

 むすこは真剣なまなざしで絵筆がえがき出す色の表情を見つめている。
 絵をかくためのアトリエとなったぼくの部屋からは昔となにも変わらない景色が広がり、まどから見える神社もそのまま残っていた。
 もしかしたら、季節の変わり目にはまた彼が帰ってくるかもしれない。そう思って宮司さんがいないままのとなりの神社へ、ぼくは時々掃除をしに行く。このごろはむすこも一緒だ。

「いいなぁ、ぼくも会いたいな。渡り神に。そしたらぼくもともだちになるんだ」
「そうだな、会えるといいな。パパももう一度会いたいよ」

その時、呼び鈴が鳴った。
 
「パパ、誰か来たよ。今日はママがお出かけでいないからパパが出ないと」
「あ、そうか」

 ぼくは絵筆を置き、むすこをひざの上から抱き上げて家の中の階段を降りる。玄関に着くとむすこを下ろしてドアを開けた。
 まるで春がおとずれたようにさわやかな風がとつぜん吹き込み、ぼくはおどろいて目を見開く。
 そこにいたのは大人が一人、そしてぼくのむすこと同じぐらいの小さな男の子。男の子は、さっきむすこに話したぼくのともだちとそっくりの格好をしていて、にこにことぼくのむすこをながめている。
 ぼくはお父さんらしい男の人を見つめた。一目見てわかった。彼はあの時とつぜんいなくなったぼくのともだちだ。おもかげが残るその顔に、ぼくのむねはあつくなる。

「はじめまして、となりの神社に引っ越してきました。どうぞよろしく」

 彼がそう言ってほほえむと、ぼくのむすこがぱぁっと顔をほころばせてぼくを見た。ぼくはむすこの頭をくしゃっとなでて、見え見えのうそをあばくようににやりと笑う。

「本当にはじめましてかい?」

彼は知らんぷりを決め込んでいたけれど、やがてがまんしきれずにぷっとふき出した。

「ばれたか」
「わかるよ」
「おれも大人になったからわからないだろうと」
「ぼくも大人になったよ」
「だな」

 笑い合って落ち着いたところで、彼は「ただいま」と言った。ぼくは一度うなづいて「おかえり」と言う。
 なつかしさと、また会えたよろこびで、なんだか満たされた気持ちになった。
 どれだけはなれていた時間が長くても、ぼくたちは今もともだちなんだってむねをはって言える。
 彼は季節を告げる渡り神で、ぼくは人間。けれどそんなことは関係ない。彼がいなかったら今のぼくはなかっただろうし、ぼくがいなかったら彼はここには戻ってこなかっただろう。

「君は渡り神なの?」

 ぼくのとなりでむすこが、男の子にたずねる。男の子は「またか」というような小さなためいきを吐き出した。どこか他の場所でいやな思いをしてきたのかもしれない。

「そうだよ、こわい?」
「ううん! ぼく、渡り神とともだちになりたいってずっと思ってたんだ!」

 むすこが手を差し出すと、男の子はふいをつかれたようにびっくりして、うれしそうに笑い、その手を握った。

「行こう! いっしょに神社たんけんしよう!」
「うん!」

子どもたちが走り出す。ぼくはその後ろすがたをまぶしそうに目を細めてながめた。

「おれも君とのことをあの子に話してたから、ふつうの人とはちがってもともだちはできるってそう思ってたみたいでね。だけど、ここに戻ってくるまでに行った先々で、渡り神であることをかくさずにいたら、ずいぶんひどいことを言われたらしい」
「そうなんだ」
「ここに戻ってきてよかった。忘れられてたらどうしようかと思ったけど、やっぱり君はぼくのともだちだ。これからもよろしく」

 春を告げるためにやってきた神様はぼくを見て右手を差し出した。
 ぼくたちはあくしゅをして、こどもたちが駆けて言ったその先を見つめる。彼が微笑むその度に、春の花の匂いがやわらかい風に乗ってやってくる。
 時間は流れ、ぼくたちは大人になってしまったけれど何も変わらない。
 
「ぼくたちも行こう!」
「え・・・! お、おい!」

 彼があわててぼくを追いかける。
 あの日の黄色い傘はもうなくなってしまって、ぼくは何度も傘を買いかえた。だけどあの頃の君との思い出といっしょに大事に胸の中にしまってあるよ。
 そう、ぼくたちはこれからもずっとともだちなのだから。

おわり