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25周年

明日の28日で25周年を迎えます。

25年前の記憶を辿ると、1995年5月28日は日曜日でした。まさに五月晴れという言葉がピッタリの素晴らしい天気で、僕の師匠が手伝いに来てくれていて、本当に助けてもらいました。

とにかくOpenから満席で、師匠に「こんなに混むものですか?」と言うと、これは「Openご祝儀だよ」と笑いながら言われたのを今でも覚えています。


こんなに混雑するのなら、店の借金もすぐに返せるな!


そんな思惑も3ヶ月後には、消えて無くなりました(笑)1年もしないで、飲食店は潰れます。3年お店が持つ確率は3割だそうです。


そう!まさに苦しみました。


今の時代のようにググることもできない25年前でしたので、どうしたらいいのか日々悩みました。調べるには「本」しかなく、色々と読んで試したのを覚えています。お客様が来てくださる。感謝する。また来てくださる。感謝する。そう毎日が感謝の積み重ねでした。


するとグルメサイトの時代がやってきました!


すぐに「ぐるなび」さんと契約をして、少し盛り返し、次に「ホットペッパー」さんなどまさにネットでお店を探す時代がやってきて、ちょうどその波に乗ることができ、売り上げが上がってきました。



売り上げも上がってきた時に、やってきたのが「震災」でした。


2011年3月11日


全てが変わりました。

命の危険性、お店の売上の減少など、一気に変わりました。電気がこない、地震もある、節約の時代、デフレの時代です。

この時、何度お店を閉めようかと悩んだことか・・・

それでもお店を続けられたのは、お客様のお陰です。


心配してお店に来てくださったり、気にかけてくださったり・・・


その震災の日の出来事で、震災の日に電車が止まって空港に行くこともできず、お店に来られたお客様がいらっしゃいました。

府中の方で、深夜の飛行機でヨーロッパに向かおうとしたそうですが、もちろん飛行機は運休・・・いや電車が動いていませんでした。

偶然降りた津田沼で、偶然入ったお店が当店でした。

お食事をして、どうにか取れたホテルに向かう時に、おにぎりを渡したのです。もしかしたらコンビニにも商品が来ないかもしれない、だから2個のおにぎりを渡しました。



それから3、4年立った時、6名団体さんがお店に来てくださいました。その団体さんこそが、震災の時の方でした。


やはり翌日食べるものが売ってなくて、あのおにぎりが凄く助かったと、わざわざご家族で来てくださったのです。それも府中からです!


日々「感謝」に忘れずに生きてきましたが、この時こそ「感謝」に「感謝」で返してくれた事に嬉しかったのです。


飲食店は「感謝」で成り立っています。


震災後、また大きな事が起こります。

実は自分が入院してしまったのです。それも2ヶ月です。

流石にこれは、お店を閉めるしかないと思った時、助けてもらいました。

まずバイトが、入れるだけ入ってくれました。元バイトまで手伝ってくれました。極め付けは、お客さんまで手伝ってくれました。


僕はこの時にいただいた「恩」は絶対に忘れてはいけない。感謝を必ず返そうと、心に刻みました。


そして今年はコロナウィルスがやってきました!


3月は飲食店にとって、稼ぎ時です。


歓送迎会の時で、宴会が多い時なのですが、もちろん宴会はなくなり、人々は外出自粛とお達しが出て、3月の売上は激減・・・4月に至っては過去最低・・・ほぼ半分の売り上げしか上がりませんでした。



25周年を迎えたいけど、今回ばかりは無理かもしれない・・・

何度も何度も、家族会議をして、悩んでいました。



でもそんな時も助けてくださるのはお客様です!

毎週のようにお店に来てくださったり、テイクアウトしてくださったりと、本当に沢山の心遣いを忘れられません。


ありがとうございます。


25周年が迎えられたのは、お客様のお陰です。

毎回お店に来て、声をかけていただいたお客様のお陰です。

当初25周年に大きなイベントをしようと思っていました。しかし今回予算的にも厳しく、大きなイベントもできず、小さな物になってしまいましたが、この25年目ほど、お客様の感謝から続けられた一生忘れられない周年祭になると思っています。


25年間積み重ねてきた、感謝が明日やってきます。

コロナで厳しいですが、次の26年27年に向かい、またお客様の感謝を積み重ねて30年を向かいます。

沢山のお祝いのお言葉、お花などありがとうございました。

6月に小さなイベント開催しますので、お客様とお会い出来ることを願っております。

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#粉と水 #飲食店 #周年祭 #お店  

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