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カワイイ女の子として出会いまして、これからは可愛い人になろうと思う。

明後日で、今の彼氏と付き合って1年だ。
たかが1年?と思われる人もいるだろうが、これまでの最長が9ヶ月(それも最後はほぼ連絡ナシ)の私にとっては、夢にまで見た大台である。

さっさとタイトルを回収したい。
今の恋人と出会った時、付き合い始めた時、私はカワイイ女の子として、彼の目に映っていたと思う。
なにせ4つも年下だ。
彼にとっては(ほとんど)初めての彼女である。
最初に会った時、髪を巻いて、ミニスカをはいて、ヒールを履いていたんだから。
そして第一印象、胸がデカい(彼氏曰く)。

紆余曲折をへて、出会ってから付き合うのに8ヶ月かかったが、それはもう大事にするしかないだろう。

絵に描いたような、「カワイイ」彼女だ。

だが、ここからが問題である。

先ほど述べた通り、私は1年以上お付き合いをしたことがない。
というか、1年以上、いい印象を保てたことがないと言うべきか。

この頃も、最初に比べればちょっと冷めてきたんちゃう?と思うことがちょいちょいある。

なにせ、一年記念日というのに私は今彼と一緒にいない!(それは単純に彼が腸炎になったからだ)

それを差し引いても、何より気になるのは彼に「暇な人」認定をされていることだ。

向こうは社会人、私は春休み中の大学生なので、暇を心配されるのは最もだ。別に突っかかるようなことではない。

しかし、個人的には、なんだか「中身がない人」と言われている気分なのである。

いや、彼氏は悪くない。
私自身が心のどこかで自分のことを「中身がない人」と認定しちゃっているだけなのだから。

実際そうで、好きなことといえば一に恋愛、二に恋バナ、三に恋愛なんですよね。

この一年、多趣味な彼氏を見習って、好きなことを増やそうとしてみたが、増やそうと思ってすることって全然楽しくないのだ。

最近は、趣味マシマシ作戦に諦めを感じつつある。

そこでようやく本題。
これからは、カワイイ彼女、よりも「可愛げのある人」になりたいという話である。

我ながら私、性格はなかなかにカワイクない。
いわゆる「マジレス」をしてしまう。
自分の意見を宣いたくなってしまう。
他人の話をあんま聞いてない。
しかもそれをうまく取り繕うこともできず、なんかバレてる。

このあたり、恋愛に限らず人間関係の面でも結構悩んでいたのだが、今日読んだ本に、少しヒントになりそうというか取り入れられそうなことが書いてあった。

その本曰く「会話とは、ボケという名の仮説を繋いでいくこと」なのだそうだ。(なんとなく「」をつけてみたが、別に引用ではない。)

関係ありそうで、関係ないことを重ねていくこと。

この本を読む前の私は、「中身のない会話」にうっすら嫌悪感を抱いていた。
相手の言葉にふざけて返すなんて、不誠実ではないか。ひとことひとこと、真剣に向き合うべきだ、と。

けれど、一般人の我々の会話になんて、そもそも大した中身がない。
筆者も、2時間のインタビューで、必要なことは2行にまとめられてしまうと言っていた。
たしかに、本を出すような人の話が2行にまとめられる内容なんだから、日常会話に意味があろうはずない。
だったら、小気味良く楽しく会話のキャッチボールをした方が100倍いい。

その技術として、ボケを重ねていくことというのは、非常に納得感がある。
私にもちょっとやれそうな気がする。

本書に書かれていたことでもう一つ、強くうなづいたのが「ボケる人は愛される」「落ちたら落ちるのではなく上がるだけ」という話だ。

会話で下手にでた方が良い印象を与えられる。
元々経験的になんとなくわかっていたことだ。
しかし、意味のわからないプライドが邪魔していた。

ここでようやく話が本筋に戻る。
私はこれから「可愛い人」になりたい、つまり、楽しい会話のためにボケまくれる、愉快な人になりたいってことだ。

付き合ってから1年経って、どうやら「カワイイ彼女」の賞味期限は近い。
もちろんこれからもオシャレすればカワイイと言ってくれそうな彼氏だが、それだけで関係が保ち続けられるとは思えない。

ということで。
これからはボケよう。ボケをつないで、可愛い人になりたいと思います。




【今日の本】
「会って、話すこと。」 田中泰延 (2021, ダイヤモンド社)

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