昭和戦前生まれの叔母は生まれた時から聴覚に問題があり全く聞こえない。
先に亡くなったもう1人の叔母も同じであった。
私はそんな叔母たちにたくさん世話になった。
服やバッグを作ってもらったり、裁縫を教えてもらったり、忙しい母に代わって日常の面倒をみてもらったり、社会人になっても続いた。
就学前は、音が聴こえないことは「障がい」というより、叔母たちの個性の一つだと当たり前のことだと思っていた。時々やってくる親戚や近所の人たちも、普通に私の家族として接していると思っていた。
小学校に入るとき、家族構成を説明する面談で「父母、兄弟姉妹、祖父母」のカテゴリーじゃない、と初めて意識した。そしてだんだん社会と社会の規範や用語に当てはめるようになってしまう。その時はそういうものだ、と疑問も持たずに(ちょっと持ったかもしれないが)いた。そして周囲の大人の価値観や言葉に従うことで、時々不快な思いを感じながらもやり過ごすことを覚えた。
2人の叔母は、時代も周囲の風当たりもきつく、私などより何倍もの抑圧と、もどかしさの中を生きてきたのだと想像する。一緒に暮らしたり関わったりできた私はたくさんの学びをもらった。ありがとう、ありがとう、本当にありがとう。当たり前だと思って過ごしてきたことが、とても得難い時間だった。