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「人と比べていませんか?」は聞き飽きた

「人と比べていませんか?」
「誰かになろうとしてませんか?」

最近よく聞く、言葉だ。
私は、聞き飽きた。

SNSを始めてから、多くの人が
他人と比べながら、
生きていることを自覚していると思う。

そこに、「生きにくさ」が生まれているのでは
ないだろうか。

でもはっきりいって、聞き飽きた。
別に比べてもいいし、どっちでもいいと思う。

自分の声に反応している

SNSをあまり見ないようにしていた
時期がある。
私の家族は、色々な場所を旅行したり、 
出かけたりするよりも、
のんびり家の中で過ごすことが好きだ。

徒歩圏内でふらりと出かけることが多い。
私も、旦那さんもペーパードライバーなのも
理由の一つだ。

「ここにいきました〜(キラキラ)」と
非日常の場所で、普段着ないような、
色鮮やかなワンピースを着て映る。
艶々した写真がとても眩しかった。

別に行きたい気持ちはなかったが、
そんな写真を見ると、
家にいてのんびりしている自分を卑下していた。

「時間の使い方を、間違えている人」
「人生楽しんでない人」



決して誰にも言われていない。

誰かと比べている、
自分の声に反応していた。

コロナで、
外出できなくなってほっとした。
どこにも行かなくてもいい。
家でのんびりできる。
もう一人の自分の声も、聞こえてこなかった。
人と比べて生きる日々から、
逃れたような気分だった。

私は、自分をもっと知ってもらいたい
思いからnoteを始めた。
初めてまだ2ヶ月くらいだ。

思考が多いくせに、話すことが苦手だ。
こうやって書くことで、
溜まったものを循環しているようで爽快感がある。

別に、比べてもいいや。

新しくSNSを始めると、
当たり前だが読者は少ない。

同じくらいの時期に始めた人と、
フォロワー数やいいねの数を
比べている自分がいた。

あ、またやってきた、懐かしい感覚。

久々の、ざわざわする気持ちになった。

しかし、前と違った感覚もある。
比べることに対して、
自分を卑下している感覚がなかった。


別に、比べてもいいや。
投げやりな感じがするが、
これは、執着していない自分だ。

「こうあるべき」の考え

ゆっくり、自分を知ってもらおう。と思う。
わたしは、わたしでいい。
そう思えたのは、
「こうあるべきだ」をすっぱり無くしたからだ。

そして、好きにまみれてよい、
自分を肯定できたからだ。


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