Seeking
在りし日の陽射しは、今も降り注いで
懐古厨なのかもしれない
そう言われても否定できない
リアムギャラガーとジョンスクワイアが表紙の雑誌を買いたくて
本屋に立ち寄ったのに
結果購入していたのは
oasis時代のリアムさんが表紙を飾る男性向けのファッション雑誌
紙面を飾る写真も既にどこかで
何度も見たものばかりで
インタビュー記事があるわけでもなく
今年30周年を迎えるデビューアルバムDefinitely Maybe発売前後を総括する内容が数ページ載るのみ
新しい内容なんてそんなに多くはないのに
こちらを手に帰宅していた
雑誌の中の2人の写真は
まるであの夏に見た幻で
追いかけたらレモンの果汁で
目が開けられないくらいに眩しくて
夏の風を通したざわめきが
真冬の寒空の下でさえ流れ込んでくる
きっとどれだけ言い訳しても
あの頃の彼ら以上に好きになれるものはないのだろう
どれだけ彼らが洗練されても
マンチェスターで産声を上げた彼らの
荒削りで、無骨で、戦略とは無縁の
ただ力強い息吹を
感じられるものに勝るものがないのだろう
原点にして頂点
始まりにして到達点
曖昧模糊としていて、明快な主張
鮮烈な蜃気楼
音に後悔と焦りと不安が混濁して
最後に残るは強烈な希望
そこに戻るために
最新の彼等を通して覗けないか
調整し続けるのだけど
嗚呼、やっぱりまだできないのだろうか
どうしても心惹かれるのは
在りし日の彼等の混沌
さきなんて一歩先すら見えない、見ない、決めない
地獄を潜りてなお、
涅槃に縋ることはなく
突き進み続けたその愛おしい背中を
追いかけたい
それだけなのかもしれない