好きってなんだっけ
恋をするとは、アドレナリンやドーパミンが作られて、幸せホルモンのセロトニンが作られている状態らしいですね。どっかで読んだ。
私はあんまり「恋煩い」をするタイプではありません。常にどこかでもう一人の自分が俯瞰して見ている感じ。恋煩いは、アドレナリンやドーパミンが出過ぎる事で、セロトニンが低下している状態らしいです。て言う事は、アドレナリンやドーパミンが出過ぎないように理性が抑制しているんだろうなあ。もう一人の自分が、おいおい良い歳こいて恥ずかしい、って言ってんだきっと。
恋煩いは恥ずかしい?
セロトニン低下の状態は、果たして恥ずかしい事なんでしょうか。アドレナリンやドーパミンドバドバで不足したセロトニンは、果たして日光で補えるのか。いや、無理でしょう。好きな人によって低下させられたセロトニンは、好きな人が与えてくれるアドレナリンやドーパミンを安定供給されて初めて、「幸せホルモン」になり得ると思います。でも、誰か日光浴びて検証してみて。「私恋人と会えなくて不安だけど、お日様浴びたら満たされたわ」って人に会えたら人生すっごい希望持てる気がする。
誰かが居ないと満たされない人生なんて嫌です。その人が居なくなったら泡沫になる日々は送りたくないです。他人に縛られたくありません。その人だっていつ死ぬか分かんないのに。だから私は制御したいんです、アドレナリンとドーパミンを。他人からしか得られないその部分を。
だから、人を好き!好き!好き好き好き好き!大好き!ってなるのは怖い。好きな人と結婚して、ずっと一緒に居られる人は羨ましい。毎日契約の元に一緒にいられるなんて。こうして文章に起こして、自分が二次元が好きな理由が分かりました。永遠だからだ。彼らは。私が忘れない限り、私の中ではずっと永遠。それって三次元にも適用されますか?
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今までだってたくさん好きな人は出来たし、一緒に住んでいた人もいた。でも途中で必ず、「この人いつ死んじゃうのかな」って思って怖くなります。離別の悲しみが怖くて、浅い内にお別れしたくなります。困ったもんだ。
じゃあ「自分不滅の存在です」って言う人が現れた時、「人の生死を見つめ続けるモンスターです」ってモンスターが現れた時、手放しでその人(モンスター)を好きになれるか?
否。
分かっています。期間限定の魅力を。
どんな悪人も善人も、盛者必衰の理。
あの子もこの子も「期間限定」。
それでも私が本当に心の底から好きになれる時は、きっと死ぬ事なんて考えない時じゃない。「オッケー、君も私もいつ死んでも大丈夫」って思えた時なんだと思います。