【短編】棄老伝説と変なやつ
相川颯。今でも名前を覚えている。変なやつだった。まるで呪いのように記憶に残り続ける、それだけ不思議で、忘れられないやつだった。
私は大学に入学したばかりで、まだ10代が特有に持つ妙な自信と、そこから来る尖った感性を堂々と振りかざしていて、たぶん、だからこそ相川を見つけたのだと思う。彼に会ったのは、大学生活にも少しずつ慣れてきた頃だった。
葉桜も終わり、青々と茂る木の下に、彼は大の字で寝転がっていた。顔には開いた本が乗っていて、覗き込むと私の知らない海外作家だった。白シャツの第一ボタンを開け、黒いジーンズを通る脚は布越しでもわかるほど細く、デニムの皺がゆったりと波打っている。小綺麗な格好をしているのに、地べたに寝そべることには頓着がないようで、風に吹かれてきた草葉がシャツに模様を描いていたし、スニーカーは少し汚れていた。彼と彼の纏う空気はあまりにも非現実で、もしかして私にしか見えていないのかも、と思わず不安になった私は、気づくと相川に声をかけていた。どう話しかければいいか分からなかったことだけを覚えていて、実際に何を言ったのかはもう忘れてしまった。確か、何を読んでいるんですかとか、そんなことを聞いたと思う。今思えばすごく無骨な態度だった。顔から本を持ち上げた相川は、突然話しかけた特に私を不審がることもせず、しばらくじっと見つめた後で、急にへらっと無垢な笑顔をこちらに見せた。困っているようにも見える、少しだけ眉根の下がった表情がかわいかった。この時に教えてもらった海外小説家の名前はもう完全に頭から抜け落ちているのに、思ったよりも低くて、芯の通った声色だけは、ずっと記憶に残り続けている。学年と学部まで同じだったことは後から知った。
相川はよく授業をサボった。大抵は図書館にいて、何かの全集を読んでいた。私は相川のいる書棚を見つけ出すのが得意になった。図書館で相川を捕まえては何を読んでいるのか聞いた。彼は言葉に対してとても誠実で、ひとつひとつ選んでは確認してから初めて口に出しているかのように、丁寧にゆっくりと言葉を紡ぐ人だった。相川の読んでいるものに興味はなかったけれど、相川から本の話を聞くことは好きだった。
普段の相川は無口でおとなしいのに、たまに突拍子もないことをすることがあった。いつかは、ペダルのない自転車に跨って、足で直接地面を蹴って漕ぎながら大学に来たことがあった。私が駆け寄って声をかけると、彼は疲労と高揚が混ざった表情で、近所の粗大ゴミ置き場に捨てられていた自転車をもらってきたと答えた。ペダルだけって売ってるのかなと楽しそうに呟く彼は、悪戯を思いついた小学生みたいに幸福そうな目をしていた。古びて錆も浮かんでいたその自転車は、翌週には新品のペダルが装着されていた。
2年生になって、相川が映画研究サークルに所属していたことを知り、私も入部した。部室には映画のディスクがたくさんあって、図書館にいない時は部室を覗くと、部屋に籠もって古い映画を見る相川がいた。時々は私も一緒に映画を見た。相川は、木下惠介の『楢山節考』が好きだと言っていた。私がいつものようになぜ?と聞くと、彼は棄老伝説の話をし始めた。キロウの意味がわからなかった私は、ただ曖昧に相槌を打った。
相川は時折、ここではないどこかを見つめる目つきをしていた。そういう時、私は隣にいても相川に話しかけることができなかった。普段は私がどれだけ付き纏っていても、何を質問しても、少しだけ眉根を下げたいつもの表情で、誠実に向き合い答えてくれる彼が、どうしようもなく手の届かない遠い人間になってしまう瞬間があった。相川が何を考えていたのか、当時の私には分からなかったし、理解する気もなかった。そういうやつなのだと理解したふりをして、私が作った枠の中に相川を閉じ込めたつもりになって、特段の理由もなしにこれからも相川の隣に居続けられるのだと、漠然と思い込んでいた。大学を卒業して、相川はぱったりと連絡がつかなくなった。そうして初めて、私は相川のことを何も知らなかったのだと気づいた。
相川颯。今でも名前は覚えている。変なやつだった。まるで呪いのように私の記憶に居座り続ける。それなのに不思議と、もう顔ははっきりと思い出せなかった。眉根を下げて笑っていたはずだと、思い出そうとすればするほど、記憶の相川は違う男の顔になった。どんな顔で笑うんだっけ。どんな表情で私を見てくれていたんだっけ。頭の中で話しかけるたびに、彼の顔とは似つかない顔の相川が振り返る。この顔ではなかった、ということだけしか分からない。私の中の相川は、すでに相川ではなくなっていた。本当はずっと前から分かっていた。相川は、「相川颯」というだけの記号になっている。随分と前から。それでも私は構わなかった。記憶の中の相川がすでに相川ではないのだとしても、私の中に相川が存在していると思えれば、それでよかった。むしろ、私が忘れなければ、「相川颯」は永遠に私の隣にいてくれるとさえ思えた。
大学卒業後も私は、相川の記号に縋った。たくさんの本を読み、たくさんの映画を見た。そうしていれば、相川の影を感じることができる気がしたから。たぶん私は、これから何十年経ってもこうして相川を追い続けるのだと思う。
自宅の書棚に、いつの間にか増えた映画のパッケージの背を撫でる。ふと指が「楢山節考」の文字を捉え、私は相川が話していた棄老伝説を思い出した。