一息の思考
世の中には本当に意味のわからない文章を書くやつがいて、それはふたつの意味で「意味のわからない」なんだけれども、ひとつはガチで頭がいい人、ちゃんと積み上げてきたものがあって語彙力も構成力も全てが伴って綺麗なあるいは独自の世界観を持った文章を書く人、私にもなれる可能性があったラインはこれで、どこだか分からないけれど多分努力とかそういう類の道をどこかで間違えた結果辿りつけなかったところなのだと思っている、でもこういうやつらに対して敬服するのはまだ、痒いところに手が届くボキャブラリーとか今まで積み重ねてきたであろう読書量だけ、要するに本人が後天的に身につけたものだから、私も時間をかければ、何十年後だとしてもできるんじゃないかなって、親近感を持ってしまう、でももうひとつの意味わからないやつはどうしたって無理、追いつく追いつかないとかの話じゃない、脳の回線がそもそも違うんだと思う、こっちは赤と青の線をどういう順につなげるかで試行錯誤してるのに、やつらはそもそも黄色と緑の線を持ってる、下手したら電気なんか通らないちくわか何かなんじゃないか、私がこんなにごちゃごちゃと考えて、ぶつぶつ言いながら何度も書き直しながら書いているのに、やつらはそんなことひとつも考えずにぶっ飛んだ文章を書く、意味はひとつもわからないのになぜか惹かれる、やつらが描く文章の世界でやつらは、直前まで宇宙にいたくせに次の瞬間にはこたつでラーメンすすってて、かと思えばカニとコアラに思いを馳せてる、もう意味がわからない、どうなってんのその頭、なんでそんな簡単な単語だけでそこまで意味のわからない文章を書けるのか、これめっちゃ褒めてるんだけど伝わるかな、こういうやつらが本当にたまに目の前に現れるから、その度に自分の付け焼き刃に辟易する、天才ってやつらのことをいうのだと思う、どうか天才だと気づかずに生きていってほしいと思う、天才は、天才という言葉に気づいた瞬間に天才じゃなくなるから。