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【短編】満月とコンビニ

 太陽を反射した月からの光が、深緑の木々の合間を器用に縫って、無造作に道端へころがされた缶やビニール袋を照らしている。星一つ見えない深淵の空に豊満な円を描いた月は妖艶さを醸し出していて、反対にその眼下に広がる薄汚れた地上はなんだかとても無様で、滑稽にも見えてくる。太陽だって月だって、そんな残念なものたちを照らすつもりで地球まで光を届けていないだろうにと思うと、とてつもなく大きく絶対的な天体が途端に卑近で不憫なものに思えた。

 そのうちに、太陽がわざわざ地球くんだりまで光を持ってくるのにどれだけの労力を割いているのか気になって、静かにスタッフルームへ戻ってスマホを取り出した。ウェブブラウザを開いて「太陽 地球 光年」と入力し、さっと目で追ったいくつかのサイトタイトルの中に「8分後」と「17万光年」の2種類を見つけたところで、レジの向こうから「すいませーん」と呼ぶ声が聞こえた。インターネットの情報なんて適当なものだよなと頭の中で独りごち、「少々お待ちくださいませー」と大きめの声で応えながらスマホをポケットにしまいレジに向かう。

 「いらっしゃいませー」の定型文とともに、目の前の「お客様」から受け取った缶チューハイを手際よくレジに通す。向かい合う相手はすでに出来上がっていて、支払いをすますと商品を受け取り陽気そうに「ありがとねぇー」と言ったあと、雑誌コーナーに座りこんで種々雑多な雑誌を開いた友人たちであろう集団に声をかけて、笑い声を店内に響かせながら自動ドアをくぐっていった。

 この辺りでは大きめの公園のすぐ近くに置かれたこのコンビニは、毎年春先になると花見客が酒や肴を得る格好のスポットになる。今日は満月が重なったこともあり、平日にしては珍しく深夜になってもなかなか客が途切れなかったが、3時を過ぎてようやく通常の夜勤の静けさを取り戻しつつあった。

 レジカウンターの中で一息ついて店内を見渡す。先ほどの集団に乱された雑誌コーナーが目に入った。カウンターから出て陳列棚の前まで行くと、想定よりも乱雑に置かれた雑誌やコミックが散見され、今度は深くため息をつく。

 幼稚園や小学校で嫌というほど叩き込まれる整理整頓という行為を、人は酒を飲むだけで簡単に投げ捨てることができて、酒は大人であることの証であるはずなのに、同時に人を幼稚にしてしまうものにもなり得るわけで、大人は子どもになって、だとするなら子どもは大人になるから飲酒ができて、酒は子どもと大人を反転させるから今度はまた子どもになる。実はこの世界では輪廻転生をする必要もなく、我々人間は子どもであり大人でありやっぱり子どもなんじゃないだろうか。

 そんなことを考えながら、そこかしこに放り出された雑誌を1冊ずつ拾い集め、コミックを棚に差し戻す単調な動きを何度か繰り返した。ふと顔を上げると、少し傾いた空に浮かぶ月と目が合った。月は相変わらず妖艶な姿をしていて、じっと見つめていると意味もなくぐるぐると動き出した思考が静かに、けれど急速に吸い込まれていくような気がした。視線を落とすと、いつの間にか雑誌はすべてあるべき場所に収まっていた。

 しばらくすると、朝番のバイトが出勤してきた。外は白んできていて、スーツ姿のサラリーマンもちらほら見える。制服姿でレジに出てきたバイトと交代し、スタッフルームへと戻った。

 今日も一日が終わる。

 朝番のバイトに声をかけ、コンビニを出る。少しひんやりとした空気に囲まれて、深めに吸った息は途中から欠伸に変わった。時間を確認しようとスマホを取り出し、手癖でロックを解除すると、パッとウェブブラウザが表示された。

 「なんだっけ、この検索ワード」
 呟いてからタブを消してスマホを閉じ、一時の闇からすっかり明るさを取り戻した空を見上げた。そうして、太陽に背を向けて歩き出した。

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