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【短編】東京タワーと棄老伝説

 叔母さんが東京の自宅に戻ってきているらしいと聞いて、会いに行くことにした。叔母さんはふらっとどこかへ行き、連絡もつかなくなることが度々ある。でも2年も音信不通になることはたぶん今回が初めてで、叔母の兄にあたる僕の父でさえ、この数ヶ月は叔母さんの安否を心配していたみたいだった。

 消息を断つ前に叔母さんと最後に会っていたのは、彼女の家に遊びに行った僕だ。帰る間際になって叔母さんはふと、玄関で靴を履いている僕の背中に向けて「これからしばらく留守にするから」と言った。僕は靴を履き終えて立ち上がり、ドアにかけた手はそのままに振り返りながら、今度はどこへ行くのと聞いた。おばさんは僕と目が合うと、にやっと笑って答えた。
「そうだなぁ、インドに行って現地の棄老伝説でも調べてくるかな」
 ちょっとそこのスーパーへ買い物に行ってくる、くらいの軽さで喋る叔母さんの話は、いつも本当なのかでたらめなのか判断がつかなかった。

 叔母さんは飄々とした人だ。僕は片田舎にある地元の、無意識に枠の中に嵌められていくような雰囲気がなんとなく苦手で、中学生になった頃から度々ひとりで叔母さんの家へ遊びに行くようになった。叔母さんはたくさんの本やDVDに囲まれた家にひとりで住んでいて、長く家を空けている時以外は、いつ訪ねても出迎えてくれた。思えば叔母さんはこの頃からほとんど見た目が変わっていない。父と3歳くらいしか変わらない年齢のはずなのにもっとずっと若く見えて、そのことを父に伝えたら「いつまでも独身でふらふら生きているようなやつだから、苦労も少ないんだろ」と言っていた。でも僕から見る叔母さんにはどこか達観したような聡明さがあり、何の仕事をしているのかは分からないけど、ふらふら生きているようには感じられなかった。僕は叔母さんの家で読書したり映画を見たりすることが好きだった。叔母さんはいつでも僕を嬉しそうに迎え入れて、僕が小説や映画の感想を話すと、楽しげにそれを聞いて、さらにいろいろな話を教えてくれた。

 叔母さんの家には、2枚だけ写真が飾られている。芝生に立つ4人の影だけを写した写真と、夜景の中で光る東京タワーの写真だ。本棚と無造作に積まれた本で満足に壁も見えないような部屋の中で、本の合間から覗くように壁に貼られたその写真は、他とは異なる雰囲気を放っていた。影の写真は少し色褪せていて、古いものに見えた。東京タワーの写真はよく見ると写真用紙ではなく、一般的なコピー用紙に印刷されただけのもののようだった。
 一度だけ、この2枚の写真について叔母さんに尋ねたことがある。影の写真は大学時代のものだと叔母さんは言った。それ以上は答える気がなさそうで、東京タワーの写真は?と僕は話題を変えた。
「それは写真集からコピーしたものだよ。えっと、これかな」
と、叔母さんは立っていた場所から二つ隣の本棚の前に移動して、1冊の大型本を抜き出した。東京の夜景を集めた写真集だった。
「東京タワーが好きでね。かたちがいいでしょう。その写真集の東京タワーは特に良いかたちをしてるのよ」
 当時の僕には違いがよく分からなかった。でもそれ以来東京タワーを意識して眺めるようになって、いつの間にか僕も東京タワーが好きになった。

 連絡の取れなかった2年間で、叔母さんに話したいことがたくさん溜まっていた。最近読んだ小説のこと、東京の大学に進学したこと、大学の前の歩道橋から東京タワーが見えること、僕にも東京タワーのかたちの良さが分かるようになってきたこと。それから、叔母さんの話もたくさん聞きたかった。

 叔母さんの家の前に着いて、いつものようにインターホンを鳴らす。少しの静寂の後、ドアの向こうから足音が近づいてきて、ガチャと開いたドアの向こうに、少しも変わらない叔母さんの顔が現れた。
「あら、いらっしゃい。入りなよ」
 僕を見て一瞬目を大きくするところも、その直後ににやっと口角を上げるところも、出迎えの言葉も、全部がいつも通りの叔母さんだった。2年も家を空けていたのが嘘みたいな態度で、少し緊張していた僕は拍子抜けしてしまった。
「久しぶり。インドはどうだった?」
 叔母さんのフランクさにすっかり気が抜けて、部屋に入り上着を脱ぎながら話しかけると、叔母さんは少しキョトンとした表情を浮かべてから、あぁ、あれねと笑い出した。
「そういえば、そんなことを言って出かけたんだっけね」
 どうやらあの言葉は嘘だったみたいだ。あっけらかんとしている叔母さんに、僕もつられて笑っていた。相変わらずこの人は何をしているのかよく分からない。でも僕にはそれが心地よかった。
「最近またいろいろな本を読んだんだ。叔母さんに聞いてほしくて」
「へぇ、いいじゃない。聞かせてよ」
 叔母さんは嬉しそうな声でそう言うと、キッチンから紅茶が入ったマグカップを2つ持ってきた。そのうちのひとつを受け取り、椅子に腰掛けて部屋を見回す。家にいなかったはずなのに、2年前より随分と本もDVDも増えていて、僕はまた笑ってしまった。

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