わかんない

感情に正解がないのは百も承知したうえで
疑問に感じたということを前置きとする。

先日、人の死に直面する機会があった。

10年以上、交流のなかった友人から突然の連絡。

何事かと思えば、御兄弟が亡くなったと。

仲良くしてもらっていた記憶が
走馬灯のように駆け巡る。

亡くなった子は、私の弟妹の同級生。
すごく仲が良かった。

兄姉同士、弟妹同士。
同い年で、学校も同じ。

近しいのは私よりも弟妹。

すぐに連絡をした。

何もかもをすっ飛ばして、本題から入る。

「なんで???」の一言の後、
聞こえるのは嗚咽のみ。

10年も交流がなかったから
私は現実味がなく、淡々と事実を受け入れた。

予兆があったわけでもなんでもない。
突然だった。

けど、私は目の前にある事実を、
感情に左右されることなく
疑問に思うこともなく。
「そうか」と受け入れてしまった。

あぁこの子はどんなに長い間関わりがなくても
こんなにも人の死を悲しめる人なんだ、と。

変なところで感心をしてしまった。
と同時に、何故か目頭が熱くなった。

とにかく、挨拶だけはと
急いで休みをもらって斎場へと車を走らせる。

連絡をもらった友人になんて声をかけようか、
親御さんになんと言えばいいのか。

マナーは?ルールは?
タブー視されている行動は?

幸か不幸か、
私が斎場に足を運んだのは
小学生の時が最初で今のところ最後。
曾祖母が亡くなった時。

当時小学生だった私は、
親に言われるがままそこに居ただけ。

今回は、親戚でもなければ
最近の近しい間柄でもない。

「どういう立ち振る舞いをすればいいのか」

そればかりを考えていた私を傍らに。

あの子は、弟妹は、
ただ友人の死を悲しんでいた。

「なんで?」「どうして?」
「嫌だ?」「なんで◯◯が?」

1歩ズレていればパニックになっていた。

私だって悲しかった。ショックだった。

「なんで?」が思い浮かばなかったわけではない。

でも、そこまで向き合える気がしなかった。

斎場について直後、
親御さんと顔を合わせる。

10年以上会っていない。

名前を言えば、覚えていてくれたみたいで。

「ありがとう」と抱きしめられ、
優しく手を包み込んでくれた。

じわじわと人から悲しみが伝わる。

涙が溢れてきた。

なんの涙なんだろうこれは。

純粋にあの子が死んだことが悲しいのか、
ただ雰囲気に飲まれて感情が揺らいだのか、
はたまた、人の悲しみが伝染してきたのか。

確かに悲しいという感情はそこにあるのに
自分が「何を」悲しく思っているのか分からなかった。

虚しい。
私は、この子の死ときちんと向き合うことすらできないのか。

急に怖くなった。

人の死というものが。

分からない、どうしても。
何も分からなかった。

何が分からないのかも分からなかった。

「分からない」だけが私を埋めつくした。


町田そのこさんの「ぎょらん」を読んだ。

やさしい話だった。
そして、残酷だった。

内容には触れないでいよう。

ただ、何となくわかったことがある。

あぁ、死ぬってあんまり意味ないな。

「死んだ」と生きている側が受け入れない限り
「いなくなった」と同義。

「いつか帰ってくるかも」と
いなくなっただけの錯覚になんていくらでも陥れる。

私はこの目で見た、あの子の亡骸を。

眠っているようだった。
身体を揺さぶれば、何もなかったかのように
「おはよう」と起き上がるんじゃないかと。

実際、起こさなかっただけ。
まだ寝てるんじゃないかな。

きっと、その人の死を受けいれた時
初めてちゃんと死に対する悲しみが湧く。

あぁ、だから創作物でよく見る、
家族が死んでしまった人物は
呆然としているだけなのか。

唐突に、取り乱したように泣き叫ぶのか。

あれが、あの時が、
あの人があの人の死を受け入れた瞬間なのか。

じゃあ私は、私は?

私は受け入れられてなかったのか。
受け入れられた気になっていただけだったのか。

御骨を見たら本当の意味で受け入れられるだろうか。
そしたら、死に対する涙が出るのだろうか。

分からない。

私はもしかしたら、
一生「人の死」には向き合えないのかとしれない。

だって、「きっとどこかにいる」と思えば
生きてると同義。

別に死んだなんて思わなくてもいいんじゃないか。

でも、こんなことを言っていたら笑われそう。

死んでも死にきれないじゃん、
成仏させてよ。

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