月は綺麗ですが、

死んでもいいわ。

思わずそう、口にしそうになった日の話をします。


夏。
蝉の声にうんざりし始める、そんな頃だった。

普段は寝ている、午前4時すぎ。

怖い夢を見たとか、茹だるような暑さだったとか。
そんな記憶はない。
その日は、普段朝起きるみたいに自然と目が覚めた。

時々、好きなアイドルの動画を見ていると
気づいたら朝が来ていることがある。

夏、空が薄く明るく色づいてきて、
起き過ごしてしまったか…となるのいつもこの時間帯だった。

暗かった。
その日は、不気味なくらいに。


きっと、普段の私なら
外の暗さなんて気にせず2度寝したと思う。

ただその日は、その日だけは。


(散歩……行きたいな)


両親を起こさないよう
忍び足で2階から降りる。

こんな早朝、どうせ外を歩く人なんていない。
いたとしても、早起きすぎるお年寄りが散歩しているくらいだろう。

パジャマで、お父さんのサンダルを履いて外に出た。

夏のはずなのに、外はひんやりしていた。

(昨日エアコン付けなくても寝れてたなこれ)

エアコンの消し忘れでよくお母さんに怒られる。
さっきちゃんとエアコン消したっけ?
まぁ、お母さんが起きる前に家帰ればいっか。

「…にしても暗いなぁ、4時ってもう朝じゃない?」

独り言が空に溶ける。

まるで、秋の朝のようだった。
あの冬にまだなりきれていない切なさを感じる秋の朝。
まだ8月にもなっていないのに。

そんなことを思いながら、
足は無意識に小さい頃よく行っていた公園へと向く。

「月明るいなぁ、こんな明るいことある?」

誰に問いかけたわけでもない。

公園のベンチに腰掛け、ぼーっと空を見上げる。
朝4時にしては、あまりにも綺麗な“夜空”だった。


「そうだね、今日は月が綺麗だ」

「ね、綺麗だよね………え?????」


隣から、いるはずのない、聞こえるはずのない、
聞きなれた声が聞こえた。


「…なんでいるの?」

「いや、君が1人で外に出るのが見えたから。
こんな時間に女の子1人って危ないなぁって」

「え、もしかしてずっと後ろにいた?」

「うん、びっくりするぐらい僕のこと気づいてくれなかったけど」

「そりゃあ……声かけてくれれば良かったのに」

「何か考え込んでるみたいだったからさ、
まぁ僕が後ろついてれば大丈夫かなって」

「見る人が見たらそれも大丈夫じゃないように
見えそうだけどね。」

「確かに。」


そう言って笑う彼は、幼馴染で、私の想い人。

「…ひさしぶり」

隣の家に住んでるはずなのに、
最近はあまり顔を合わせなかったから変な感じがする。

「久しぶり、どのくらいぶりかな、1年…とか?」

「かなぁ、もう分かんないや、最近時間の感覚ないし」

「あー、それは確かに、分かるかも。」

そう言って彼は、私の隣に腰掛ける。

冷たい風をフッと感じた。

「………」

「…………」

無言の時間が続く。

どんな話をしていたっけ。
気まずい、あの日から、私が想いを告げた日から。

ちらりと彼の方を見ると、
彼は恋しそうに月を眺めている。

彼の口が動いた。

「月が、綺麗ですね」

時が止まる。

「あ………うん、しんでも、」

ずっと待っていた。
ずっと待っていたあの日の回答が聞けた。

思わず答えてしまいそうになって私は口を噤む。

こういう時は、こういう時はどう言えばいいんだっけ。

頭をフル回転させて、なけなしの記憶を奮い起こさせる。


「……私には、月、見えない、よ」


あれだけ月が明るいだの綺麗だの言っといて
“見えない”なんて、馬鹿げていると自分でも思う。

でも、やっぱり、まださ、

「大丈夫、私、ちゃんと生きていけるよ」

だから、まだ連れていかないで、待ってて


声にならない言葉が溢れる。

それでも彼は、全てを理解したような顔で、

「そっか」

と切なそうに笑い、月明かりに消えていった。


それと同時に空が少し、明るくなった気がした。

朝が来た。



20××年7月22日 午前4時49分。

彼が亡くなって、ちょうど1年経った日の出来事でした。

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