多様性の中の正しさとは
一度ベッドに入ったはずの息子が、のどが渇いたとリビングに出てきた。私が見ていたアメリカの医療系のドラマ(英語字幕)のテレビ画面を見て、「ママそれ分かるの?」と、一言。日本語習得のために、私は英語が分からない体なので、時々こういういじめに遭います…。
いよいよ東京オリンピックが近づき、続々関係者が来日しているようです。数週間前に、オリンピック選手は自分のコンディションを大事にしているし、最高の状態で試合に臨むために最大の努力をしている故、コロナ感染対策への意識も高いはずだ、という意見を耳にしました。その時は私もなるほど、延期までされてやっとの思いでオリンピックを迎えた選手にとってはこんなところでコロナなんかにやられてる場合じゃいだろう、と思いました。
しかし、このスポーツ選手=清廉潔白というイメージがは日本特有なようです。移民都市で生まれ育った友人は、「そーんなわけないじゃん。たぶんそれはG7出身の選手くらいだね。」と言っていました。スポーツ選手が国の代表になることで満たされた生活を送れるのは先進国の話であり、国によっては亡命目的でオリンピック出場を狙っていることもあるようです。また、一部の選手にとっては一生に一度の日本に行けるチャンス。一部の国でマスクや経済活動の制限に対するデモが起きていた訳ですから、法律でもない、よその国のお願いベースのルールなんて守る理由もないでしょう。実際に、きちんとメモまで残して亡命を試みた選手も出ていますね。日本人にとっては、まさかそんなことをしては今後の選手生命が…と考えがちですが、彼らにしてみれば選手生命ではなく、残りの人生を左右する人生に一度の機会であり、そのための行動をとることは当然なのでしょう。
何が正しいかは本当にその人の生きている環境や状況によって異なります。多様性は大事ですが、多様性を受け入れないのも多様の一つですし、「みんなが幸せになる」ことは人類史上、そして今後に於いても最も難しいことではないかと思います。
平和の祭典がそのパワーを発揮してくれるよう祈りつつ、楽しみたいと思います。