親からの言葉に初めて絶望した日の話。思いのたけ新鮮なうちにぶちまけ
人生大絶望
甲状腺の病気が再発して一年が経った。
精神科にお世話になって一年が経った。
何度絶望すればいいんだろう。
一番信じていた母親が、
娘である自分を一番に考えてくれていると信じていた母親が、
実は、娘の体調を気遣っていなかったと気づいた日、
私は裏切られた気持ちになった。絶望した。
父とは昔から不仲で、ろくに挨拶もせず反抗期のようなものが続いている。
私は申し訳ないが、お金は出してくれるパトロンのように思っている。
父に話して解決できることなんてお金のことだけ。
残念ながら期待していない。
一方で、母親にはその日学校で何があったかや、友達のことを話したり、一緒に旅行に行ったりできるほどの仲であった。
父に言えないことも、母親には言えた。
私にとって母親は
何の気もなしに絶対に味方でいてくれる安心できる存在だった。
その「絶対に味方でいてくれる」存在が揺らいでいる。
2021年5月ごろから
ずっと身体がうまく動かなくて、息がしづらくなって、
バイト中でもしんどくて泣きそうになるくらいだった。
しかし、周囲に心配をかけたくなく、仲のいい友人にしか自分の大変さを話さなかった。母親にも言い出せなかった。
当時一人暮らしをしていたものも、次第に身の回りのことができなくなり、友人のすすめで実家に戻ることにした。
このときはまだ安心して帰れる場所だったのに。
身体がうまく動くようになり、少しは落ち着いた今になって思う。
実家に帰りがちになったとき、なんで自分の身体のこと、心のこと言わなかったんだろう。
(いや、当時は混乱していて、泣かずに自分の話をすることもできないくらいしんどかった。自分の心を守るためにも話せなかったから致し方ない。)
7月現在、身体はわりと動くようになったから、後期の復学を考え始めた。
未だバイトをしに行くのにも、面接を受けに行くのにも怖い。
学校に戻るのはほんとに怖い。留年もしているので、頼れる友達は大学にいない。授業も人間関係も上手くできなかったらどうしよう。
そんな脆い気持ちを持ちながらも、頑張ろうとしていた矢先だった。
母親に、精神科の先生から「卒業するまで最低でも一年かけてリハビリする必要があるよ」と言われたことを伝えた。
すると、母は「後期だけで卒業できるにはできるんでしょ?」と。
たしかに、頑張ればできるかもしれない。
けれど、それはまたやらなきゃいけないというプレッシャーで私の心を摩耗する。無理をすることになるのは明らかだ。
後期だけじゃ厳しいと伝えたら、
「なら、休学しなきゃよかったじゃん」
ねえ、それって私のこと全然考えてくれてないじゃん。
自分が何のために休学したかわかってないじゃん。
いままで、絶対に味方だと思ってたのに、味方じゃないじゃん。
娘がどんどん元気じゃなくなってたの見てなかったの?
意見の対立は過去にあった。
別の考え方だなで割り切れた。
でも、これは割り切れない。
わたしが生きていることが一番じゃないの?
何度か、今事故にあって死んでもいいやと思ったことはあったけど、
でも病気が落ち着くかもって。
自分が思い描いていたものとはちがうが、また元気に学校行ったり、社会で活躍できるかもって思ってた。
そこまでできたら、散々親に迷惑かけたけど、恩返しできるかもって思ってた。
でも元気に社会に出れるのって、帰れる場所があるから、生きていけるじゃん。
何か自分に事故があっても病気になっても許してくれる、見守っていてくれる存在がいるから、生きていけるじゃん。
母親に期待しすぎたのかな。
自分は自分で孤独に生きていく覚悟だけど、もしまた病状が悪化したら帰れる場所はもうどこにもない。
手詰まりだ。
絶望でいっぱいだが、
まだ、こういう話ができる友達の存在に助けられている。
みんな絶望の気持ちに蓋をして生きているのかなあ。。
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