1ヶ月去勢した話【大賢者として生きる】
30代半ばになり、ある日明確に「異性と会うのはもうお終いでいい」と思ったタイミングがあった。
このタイミング、大切にしたい。多分待っていた。もう落ち着きたかった、心のどこかで。
全ての約束をキャンセルする。
マッチングアプリをおやすみモードにする。
するとスケジュールにぽっかり穴が空いた。3連休で一人旅でもしよう。たまの旅行だ、お金はいくらかかってもいい。
宿の温泉に入ったり景色を見たりお散歩をした。
アプリを触らないからスマホを見る時間も減った。時間がどうしても余る。
遠出して美味しいものを食べようか。
あとは職場の独身貴族とお酒飲みに行こうか。
そのうちの最年少の後輩が、隣の席のグラマーな女性に興味を示し、4人組の子に声をかけていた。
見事に玉砕したのちに、女の子がいるお店に行きましょう!と言い出す。それか女の子を捕まえに行きましょうよと言う。
僕はほんとに今そういう感じじゃないことを隠しながら、また今度にしようなと言う。
女の子のいる店に行く時間とお金がもったいなく感じてくる。
すると付き合う仲間が既婚者になってくる。
彼らの子どものジュニアNISAを始めたんだとか、至極現実的な話だ。
彼らはさなぎもそろそろ将来のこと考えないとだな、と言う。
彼らは女の子のお店に行こうと言い出さない代わりに、全くもって常識の範疇で会話する。無茶な遊びもしない。
週5でやっていたサッカーをお休みする(メンバーには会社で何か嫌なことでもあったのと心配されたが一時的にと伝えた)。
すると映画やゲームなどの受動的な娯楽を楽しむようになる。
椅子に一日中座り、海外ドラマを観る時間とゲームをする時間を交互に送る。
ご飯はUberEatsで済ます。
この座ると言う行為が筆者には大変良くない模様。家を出たくなることに拍車がかかる。
本来は予定を詰めたいほうなので普段は家にいることはあまりないのだ。
食への関心も減ってくる。
生きていられれば良くなってくるのでせっかくならと肉中心から菜食中心の生活になる。ついでに豆乳を飲む。
肌が綺麗になるがどこか男らしさは失われる。
今日は何食べよう!という執着から解放されるが、その執着を手放すことがどれだけ悲しいか。
身嗜みが適当になる。
たまに行くカフェのお姉さんにどう思われても良くなってくる。白髪が増えたかな?とかちょっと老けたかな?とか思うが、老けたとてどうというのだ。という気持ちになる。
歳を取るのは自然の摂理だろ、と飲んでいたサプリ類も辞める。
すると美容にかけていたお金がどんどん貯まった。なんとも合理的だろう。このペースで貯金したら死ぬまで安泰だろう。
ただみるみる増えていく口座預金に反して筆者の景色からは色が消え白黒に見えてくる。
部屋が綺麗になる。
部屋を掃除するようになる・・・というより部屋を掃除することくらいしかやることがなくなる。あとは規則正しくなる。夜やることがなくなるから勝手に早く寝て勝手に早朝目が覚める。
このときの筆者は一見健康そうだけど不健康なんだな。
「・・・俺何のために生きてるんだっけ?」
質素倹約に、常識的に。たしかに合理的かもしれないけどつまらない。
ただ実験的にこんな生活をしてみて、
筆者の老後は非常につまらないものになる可能性が高いことが分かった。
例えば女の子のお尻を追いかけるという執着を捨てると一見解放されたら幸せだろう、時間もお金も節約できるだろうと思ってた。
だけど面白いことはきっと合理的でないことの中にある。
例えば気の合う仲間と合コンに行って全滅だったとしても
くだらなくても一生懸命やるのが面白い。反省会で飲みに行きまた散財するのだって、無駄そうに見えて無駄じゃない。
僕はタバコもギャンブルもしないんだけど、そこに依存や執着がある人がいても
「これがあるから今週も頑張れる」と思うのであれば止める道理はないと思う。
お金がかかったり、ときに健康を害したり。時間を溶かしたり。そんな一見無駄と思える中に生きる実感があるんじゃないかな。
例えば焼肉食べ放題に行って、無理して食べすぎたり
お酒を飲みすぎてハメを外しちゃったり
夜ダメとわかっていてもお菓子を食べてしまったり
それがホストだろうと推し活であろうと、節度があればいいんじゃないかな。
もし夜更かしをしてしまっても、それだけ面白いと思えることがあったことの裏返しでもあるんだなと思ったり。
これは一度自粛期間があってからこそ本気でそう思えるようになったから、時間 お金 労力 これらをいたずらに浪費することに後ろめたさを感じなくて済むようになった。
そんなわけで僕はまた身体を動かし始めた。
お休みはどんどん予定を埋めていく。
三大欲求に、より忠実に。
「いい歳してふらふらすんな」という意見はスルーだ。フォロワーさんが増えてくるにつれアホなことも書きづらくもなってくるかもしれないが
これからも合理性のかけらもなく、くだらなさを愛し必要のない恥やプライドを捨ててnoteを書いていきたいと思った今日この頃。