私の乳房と性自認

「性自認」について

恐ろしく眠い。眠い。眠すぎる。生理前ではないんだけど、眠すぎる。なんでだ。
今日は表題の通り、性自認の話をする。

以前から気になっていた漫画家さんの山内尚さんの作品に対するコメントで『私、この方の漫画を初めて読んだのですが、乳房の除去手術をするのが、わかりました。
空虚を抱えた人なんですね。なるほど。』とつけた人がいた。
https://x.com/kskspiyo/status/1747288590059741661?s=46

もうちょっとわけわからないんだけど(作家の性自認や手術の話をものすごく無理くり『虚』に結び付けている)、腹立たしいことだけど、今一度自分の性自認を言語化したくなった。そうして久方ぶりに筆を取った。

私のセクシャリティー(性的指向)は、パンセクシャルで、その中でも何となく、ビアン寄りだろうなぁ、とここ2年ほどは思っている。これについては以前書いた記事を参照してくれればわかりやすいかと。

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で、自分の性自認はと言えば、まあ私は『女性』だろうなあ、と特に疑いもせずに思っていた。だけど、乳房切除術の話を聞いて何となく思うことがある。
私は、どちらかと言うと、消極的に女性であるのではないだろうか。と。
自分の乳房は、正直いって全く大きいものでは無い。どちらかと言うとかなり小さい部類で、安物の下着をつけてTシャツを着れば、ほとんど目立たないし、1度ツーブロックの髪型の頃、妹と並んで写真を撮ったのをみた妹の友人から『彼氏?!』と疑われたくらいなので、まぁそのくらい目立たないものだとご想像頂ければいい。
でも私は時々、お風呂に入る度に、この胸がこれ以上大きかったら、多分私は受けいれられなかったろうな、私の体を、と思うことがある。
自分を男性だと思っている?自分の認識と体にズレを感じるか?と言われればそうでは無い。だけど、私は女だ!ということがものすごくしっくり来ている訳でもない。女のからだと、自分が女であると思うこと、発言することを受けいられはするけれど、それが自分に完璧に馴染んでいるとも思えない。性別を聞かれる欄に「答えない」があれば、そこに丸をつける方が気が楽で、自分に性別がないかと言われば、それはそれで違うような気がするのだ。

それが所謂、消極的女性、というよく分からない性自認である。
バイ・セクシャルという言葉にも何となくしっくり来ていなくて、パンセクシャルという言葉を知ってからストンと腑に落ちて自分を捉え直せたのと同じように、新しい言葉との出会いが、私の自認をもっと、自分の体の輪郭や枠線に沿うものにしてくれるかもしれない。
そんな言葉はもう見つからないかもしれない。近年しきりに繰り返される「性はグラデーション」とは、すなわちそういうことなのだろう。私はピッタリと一致する基準線を見つけられないまま、そのグラデーションの帯の中をゆらゆらと、たゆうのだろう。
まぁそれでいいんだけど。別に、なにも、苦しんではいないから。私は多分、女の子に近いけど、女の子にはなりきれない、女なんだろうなぁと思いながら。

性自認至上主義とか、知らんわそんなん、私はなんとなく、自分の性を捉えていて、あんたに勝手に定められることは無いのだ。
性のグラデーションという考え方は、私の心にゆとりを与えてくれる。自分が何者か、分かりきらないけれど、まぁそれでもいいのかと。
私は大の病院嫌いで、手術も怖いし、痛いのも病院の先生も、病院という施設自体も苦手で、歯医者さんにはそっと目隠しのタオルをされるくらいいつも怯えきっているから、その恐怖と乳房を天秤にかけて、いまは、君と別れなくてもいいだろうと、消極的に結論を出しているだけなのだ。その恐怖をのりこえて(もしさして怖くも思っていなかったらごめんなさい。でも私にとって手術を乗り越えられるのはほんとに勇者みたいにすごいことだと思います)今の体を手に入れた人達に、つまらない適当なことを言わないでくれよと、声を大きくして言いたい。


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