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虫刺されじゃないのよ!

キャプテン昇格を目指して奮闘中の中堅パイロットが、顔を腫らして困っていました。本人曰く、「自宅の庭で害虫駆除をしたら、右側だけこんな顔になっちゃって…」と云うのです。チャドクガのような毛虫を殺虫剤を噴霧して駆除すると、頭皮に落ちてきてひどい被れを起こしますから、気の毒だなと思って見ていました。
ところが翌日には瞼まで腫れあがり、明らかに悪化しています。「何か薬でも使っているの?」と尋ねると、以前に虫刺されに処方してもらったリンデロンというステロイド入り軟膏を塗っているとのこと。皮膚科へ連れて行ったら、皮疹を一瞥した女医さんにため息をつかれました。
水泡になった赤い皮疹を綿棒で擦って、溶解液を水痘抗原迅速検査キットに滴下してみると、立ち所に陽性のラインが現れました。水痘ウイルスは乳幼児の水疱瘡(みずぼうそう, chickenpox)の病原体で、水疱瘡が治っても体の奥底に生き残っているそうです。神経組織が好きなウイルスで、神経節という洞穴みたいな深部に残存し、免疫システムからの攻撃に耐え忍んでいるとのこと。それが疲労やストレスで免疫が低下すると、暴発します。それが神経に沿って発症するので、帯状疱疹(shingles)と呼ばれます。
帯状疱疹というと、どこか高齢者の病気というイメージがありますが、女医さん曰く大学受験の若者にも発症することがあるそうです。そう言えば彼も機長昇格の受験生ですから、毛虫駆除とは無関係であった訳です。「勝手にステロイド軟膏なんか塗るから皮疹が悪化したのよ!」と、お灸を据えられました。
パイロットにとって、帯状疱疹は決して侮れない病気です。例えば坐骨神経や肋間神経に皮疹が起こると、抗ウイルス薬の投与で帯状疱疹が軽快しても、破壊された神経の外側(鞘)が回復せず、ピリピリした神経痛を遺すのです。時には長時間椅子に座っていられない程の痛みが、半年以上続きます。
更に問題なのは、この機長候補生のように顔面神経に発症すると、水痘ウイルスが眼内まで侵入して、視力低下や最悪失明することがあります。彼も念のため眼科へ紹介されて、視力低下が起こらないよう、厳重にフォローアップされました。
帯状疱疹には有効な治療薬があり、発症後直ちに投与すれば比較的軽症で済みます。予防には水痘ワクチン接種が有効で、近年では帯状疱疹予防に特化したワクチンも輸入されています。けれども女医さんのお話では、予防接種で発症を完全に抑えることは出来ないとのこと。然らば何が一番重要かとお尋ねすると、「充分な栄養と睡眠、そして規則正しい生活が肝要」とアドバイスされました。機長昇格候補生にとって、これはちょっと無理な話。「輸入ワクチンは、少し痛いし高価よ」とも聞かされて、彼のおごりで美味しいものを食べて、お互い精力を付けることとしました。

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