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さみしがり屋の旅

とある事情で私は新潟の実家から福島に引っ越すことになった。
決まったのはつい先月のことである。

一人暮らしをするのは専門学校以来のことだ。
隣の県とはいえ県外に住むのも初めてだし、電車で片道7〜8時間はゆうにかかる。
簡単には行き来できない距離だ。

引っ越すことそのものはポジティブな理由からだし、いつか家を出たいとは思っていた。
実家は好きだけれど、同時にそこに一生閉じ込められてしまうのを恐れてもいた。
福島行きは遅い自立のチャンスだった。

ただ私には気掛かりなことがあった。
それはもう若いとは言えない両親のことだ。

父は今年に入って軽い脳梗塞を起こして薬物療法を続けている。
母も不整脈を起こすことがあり、決して万全ではない。

それでもふたりともまだそこそこ元気にしているが、いつ何があってもおかしくないのが人生だということをこれまで痛いほど思い知らされてきた。

親離れできていないと言えばそれまでかもしれない。
私はたぶん親に甘えすぎていたし、親は私にとても甘かった。

ずいぶん遅い独り立ちだ。
前だけ向くには遅すぎる独り立ちだ。

出発の朝、私はそっと家を出た。
つい今朝のことである。
「行ってきます」と書き置きをテーブルに残した。

駅に着いて電車を待つ間に「送るつもりだった」と父からLINEが来た。
電車に乗ると私は泣いた。
両親の顔を見て行ってきますと言いたかった。

別に今生の別れではない。
ただ旅に出るだけ。
それなのにさみしさで涙が止まらなかった。

今もこの文章を書きながら泣いている。
いつまた会えるのかわからないのがさみしい。
さみしがり屋の道行きだ。

お父さん、お母さん、大事に育ててくれてありがとう。
見守ってくれてありがとう。

面と向かってそう素直に言える日は来るのだろうか。

わからないけれど、私は一人でがんばってみるよ。
今度帰るときまで元気でいてね。






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