なぜ、言葉なんか何もいらないのか
そして寺田蘭世さんは2020年9月23日、数年越しの念願を叶える形でInstagramを開設した。それは乃木坂46云々というよりも、寺田蘭世さんがおしゃれに生きる為のアカウントだった。ただ1人の人間として、幼少の頃から育んできたおしゃれな在り方を、忌憚なく出し切るための時間と空間だった
最初に断っておくと、私におしゃれを論ずる能力など微塵もない。無論、前回までのテーマとて、どれだけちゃんと語れたかは怪しいものだが、今回はそもそも荷が重すぎる。例えば、寺田蘭世さんは時折、おしゃれを求める学生に事細かなアドバイスを送っていたが、それがホントに良きなのかどうか私にはさっぱりわからない。ルールを知らないスポーツを漫然と観ている気分に近いのだ
それでも、そうであっても、そんな私のような拙い人間でも、何かを掴むことはきっとできるハズだ。なぜならInstagramを始めとして、活動後期の寺田蘭世さんはおしゃれについて様々なことを示してくれたからだ。
そこで今回は、寺田蘭世式のおしゃれについて考える。↓に挙げた2つのテーマを軸として、蘭世の在り方から何かを学んでいきたい
なぜ、おしゃれするのは難しいのか
なぜ、おしゃれするのは楽しいのか
私自身、この文章を書いているときに心に刺さったことだった。まずは1つのとっかかりとして、寺田蘭世さんのおしゃれ遍歴から考えてみる
①寺田蘭世はいつからおしゃれを?
元々、ファッションに精通した家庭だったようだ。古着屋に連れて行ってもらったり、寒いからといって着込むなおしゃれしろと言われたり、なんやかんやの前なのか後なのか、3歳児にして自らパーマをかけにいく豪傑が誕生した。その豪傑もとい寺田蘭世御本人曰く「面白くてイケてる両親」だそうだ
自由なファッション観を持つ両親の元で、寺田蘭世さんは徐々に自らの意思で服を選び始めた。幼稚園児の頃はかわいい服を好んでいたが徐々に違和感を抱き始め、母の一言をきっかけにおしゃれが変わり始めるそして小学生の頃は大人っぽい子供服ブランドを好み、程なく黒スカル時代に突入。早々に髪も染めた
そこからいっぺん揺り戻しがきて、さらにまた大きく揺れて、その先はもうなんでもありになっていったような趣がある。前回語ったように、寺田蘭世さんは一度ガチッと掴んだものを簡単に手放す人ではないので、日々積み重なっていく
だがそうなると1つ、頭をよぎる事がある。「ボーダーレスなファッションになればなるほど、今日の服装を何にすべきか迷うのでは?」という素朴な疑問だ。何をどのように着ればいいのか
一般的に、多すぎる選択肢は迷いを生む。ある1つのジャンルに絞っていればいくらか楽にもなるが、寺田蘭世さんはそうじゃない。そしておしゃれの世界は、(私が好きな遊戯王やMTGのような)対戦型カードゲーム等とは違って、己の選択の正しさを検証するのが難しいように思える。どう選ぶのか。即ち、
②寺田蘭世の服選びのコツとは?
前回も述べたが、寺田蘭世さんは "直感" を重視する。そこに杓子定規な決まり事はない。強いて言うなら、雑誌や通販はアテにせずお店へ直に足を運ぶ。それも一軒ではなく、その辺一帯の店舗を虱潰しに回ってお洋服を探すという
蘭世さんの "直感" を十分に働かせるなら、実際に目で見て手に取って質感を確かめる方が良きなのは、流石の私にもわかる。そして試着は極力しない。おしゃれな蘭世さんがビビッと来た時点で、既に購入が決定しているのかもしれない
寺田蘭世さんのおしゃれに定型はない。セオリーも、ジャンルも、ブランドも、参考程度で絶対的な決定要因ではない。むしろ、堅苦しい定型に囚われなくて良いからこそ、おしゃれを愛しているようにすら映る。御本人の表現を借りるなら「自分の体と心が喜ぶ服」で体を包む喜びを知っている人だった
試着をしない時点でうっすら察するが、寺田蘭世さんはサイズという概念にもさほど囚われない。元々が細身の低身長であり、時には子供用の服を着たりもしていたようだが、それだと幅が狭くなる。基本は気にしないようにしつつ、それでも気になる時は高めのヒールを履きハイウェストなお洋服を着ているそうだ。兎にも角にも、自分の "ときめき" なるものをなるだけ通そうとしている
楽しむ。型にハマらないのを楽しむ。私が難しいと考えることは、寺田蘭世さんにとってはむしろ無類の醍醐味なのだ。寺田蘭世式のおしゃれは「自分が一番楽しむ」ことを、「自分がいいと思ったことを貫く」ことを、何よりも優先する
よくよく考えてみると、おしゃれをキメる上での究極的は制約は軽犯罪法ぐらいのものだ。例えば、先ほど例に挙げたカードゲームのデッキ構築の場合、対戦相手に勝利することがゲーム上の目的として予め設定されている。それはすなわち「勝つためのカードを入れていけばいい」というわかりやすさであると同時に「勝つためのカードを入れなくてはならない」というある種の窮屈さでもある。おしゃれはそうじゃない。おしゃれにゲーム上の目的はない
"正解のない世界" と、寺田蘭世さんはよく言っていた。おしゃれの道に生まれついたからこそ、その身をもって体得していたんだと思う。そして寺田蘭世という人は、自分の直感に基づいておしゃれを高めてきた。世界そのものではなく、自分の中にこそ、1人1人の人間の中にこそ、十人十色の正解が存在する。それを追求できる自由な世界こそがおしゃれだった
しかしその一方、それは怖さでもある
③正解のない世界
ファッションに万国共通の正解はない。しかし需要と供給の問題はあるわけで、一歩間違えれば非難の的になりかねない危うさもある。この世に絶対的な正解はなくとも、多数派とTPOは常に存在するからだ。そうなると人は日和る。"大正解" とは行かずとも、大きく滑らず無難に済みそうな選択肢がチラついてくる。元々おしゃれにそんな興味がないなら、なおさらそうなっていくのが人情だ
2017年4月29日の『らんぜのNEWSがとまらんぜ』で語っていたのだが、「日本は黒色、茶色、グレーで溢れている」そうだ。落ち着いた色味のものは何にでも合うのでそれ自体は間違っていない。しかしそれが、人目を気にした結果に過ぎないとしたら。それでは "自分の正解" と言えなくなってしまう。難しくもなければ、楽しくもない世界だ。この見えない壁を越えるのは中々難しい
かくいう寺田蘭世さんも、TPOの問題から上手くは噛み合わなかった瞬間がある。研究生としての活動を余儀なくされていた2014年の握手会。その日はメンバーがコスプレして出迎える形だった。コスプレがオシャレの内かは私が語れることではないが、少なくとも見た目を変える話には違いない。そして寺田蘭世さんは大好きな宝塚のコスプレを全力でキメた。そしてまあまあ不評だったようだ
実際の画像を観ても、あれをアイドルの握手会に持っていくのは中々難しいものがある。普段の寺田蘭世さんからあまりにも離れすぎている以上、とりわけ、今回が初めての人や中々来られない人へのウケにくさは否めない
ファッションに正解はないということは、個々人の正解と照らし合わせてジャッジされるということでもある。かつての爆笑オンエアバトルで得点の玉が3つしか転がってこない時のような、冷たい反応を帰ってくることもある
寺田蘭世さんは幼い頃から独自のおしゃれを高めてきた人だ。その一方、学校生活やアイドル活動で色々苦労してきたとも聞く。何にも囚われない独自のおしゃれがいつもいつも肯定されるほど、この世界は優しくできてない。世界に正解がないということは、衝突や抑圧が絶えないということでもある
もっとも、それで凹みっぱなしになるほど寺田蘭世さんは弱くない。昨日今日、おしゃれを始めた人間ではないからだ。蘭世には覚悟がある。正解のない世界で、自分の正解を信じて生きることの重さをその身で判っていたハズだ。他者からの「嫌い」に対しても、「私はおまえが嫌い」と返すよりも、「私はこれが好きだ」と返す道を選んだ。それは本当に困難な道だ
寺田蘭世さんが直向きに戦ってきたのは、目の前の人間それ自体ではなかった。その女は先入観と決闘していた。愚直なほど一途な人であり、人として伝えなければならないことや、守らなければならないことを全部こなした上で、自由へと突き進む人だった。その在り方が格好いいと思った
寺田蘭世さんのこの種の格好良さは、年齢を重ねれば重ねるほど実感する部分がある。寺田蘭世さんを好きになった人達の中でも、私はまあまあ年配なんだろうと薄々察してはいるが、その経験則で1つ言いたい。寺田蘭世さんの在り方は、思考や経験が何周かした "後" の方がきっと輝いて映る
そんなわけだから、寺田蘭世さんのことを忘れない方がいい。いつかどこかで、自分を良き方向に導いてくれるかもしれないから
④蘭世の正解
型にハマらない。ときめいたものを選ぶ。自分の正解を信じる。そこまで聞くと当然気になることがある。一体いかなるおしゃれが寺田蘭世さんの正解なのか。幸いにも、この問いについては答えがある。私の心を揺さぶった言葉がある
かつて寺田蘭世さんは、「蘭世ちゃんにとっておしゃれとは!」という(私が一番聞きたかったまである!)誰かの質問に対し、ハッキリとこう答えた
寺田蘭世だ。寺田蘭世の回答だ。かつて寺田蘭世さんは「着飾るものはバレる」と言った。いかに1つの言い回しに過ぎないとはいえ、ファッション畑の人間らしくない発言だと思っていた。しかしそれとて頷ける。何かをまとう事によって中身を隠すのではない。むしろ心の中を表現していく。「着飾るものはバレる」でも、寺田蘭世式のおしゃれは何の問題もないのだ。なぜなら、
着飾ることでバラすのが寺田蘭世だ
もっとも、寺田蘭世さんを知らない人からすると、迂遠なアプローチに映るのかもしれない。現に私も、この言葉に心を惹かれると同時にうっすら頭をよぎりはした。"口で言えばよくね?" "字で書けばよくね?" という身も蓋もない考えが。事実、寺田蘭世さんは自分の考えをハッキリと口にしてきた人でもある
しかし、2021年10月28日のラストライブにて寺田蘭世さんは皆に向けて言った。自分の気持ちを言葉で伝えるのが苦手だったと言った
これを聞いた瞬間、私は謎の涙を流していた。決してそのことを知らなかったわけじゃない。寺田蘭世という人間が、自分を貫き続けるのと同じくらい、言葉に迷い続けた人であることを私は知っていた。年季の入ったファンなら皆が知っていたことでもある。蘭世さんは年がら年中迷っていたので、早い段階で知ってはいた。なのに。自分でも何が何だかわからないまま涙が溢れてきた
かつて寺田蘭世さんはこんなことも言っていた
その最大の武器を手に取る度に、魂を削っていたんだと思う。人一倍怖がりな人だった。今までずっと、言葉を武器にして生きてきた一方、決して得意ではない言葉と格闘してきた人だった。8年半にも渡るアイドル活動の中で、自分の "個性"を、"生き様" を、"伝えたい事" を言葉で表す難しさに直面してきた人だった
そんな寺田蘭世さんが、自由に、自在に、魂を開放できるものがある。それこそが、おしゃれを高めることだった。数あるアイドルの仕事の中でも撮影が1番楽しいと、一瞬一瞬に自分でテーマを作るのが好きだと、そう語っていた
己の心の中を表現するということ。それは、自分を開放する喜びではないだろうか。世間の目があっても、常識の壁があっても、蘭世のおしゃれは止まらんぜを地で行った。そしてその在り方は、 "自分" という枠に対しても変わらなかった
⑤寺田蘭世の挑戦
寺田蘭世さんはバディー・ウィンクルという人が好きらしい。90歳を超えても個性的なファッションを貫いていたからだ。髪色も、髪型も、服装も、寺田蘭世さんは一生かけて試そうとしている。人生一度はドレッドヘアにしてみたいとも言っていた。常に未熟者でありたいと語る寺田蘭世の真骨頂だ
今まで何度も語ってきたように寺田蘭世さんは個性的な人だ。その容姿が、その言動が、濃厚なイメージを作り出す。自分のことを覚えてもらうという意味では有益だが、そのイメージに囚われ過ぎて自縄自縛になったら元も子もない
自分のおしゃれが上手く世間にハマらないのも苦労なら、上手くハマり過ぎるのもまた苦労。一度良い感じになってイメージが付くと、常にそうしていなければならない空気になる。本人が納得しているならそれでも構わないが、それでは満ち足りないのが寺田蘭世という人だ。一口に心の中を表現すると言っても、様々な思考や感情が一瞬一瞬を駆け抜ける以上、1つのおしゃれで足りるハズもない
凝り固まったイメージをぶっ壊せるのもファッションだ。寺田蘭世式のおしゃれには、自分を更新する楽しさがあるのではないか。私はそう思った。選んだ服が拘束具になるか羽根になるかは、その人次第である
そしてふと思い出した。元乃木坂46のメンバーに伊藤万理華という人がいる。非常に多趣味であり、ファッションにも定評のある人だった。この万理華さんに対し、当時『らじらー! サンデー』のMCを務めていた中田敦彦さんは「万理華を追いかけてもその先に万理華はいない(要旨要約)」と語っていた。年月の経過と共に趣味が移り変わって、地層のように積み重なっていくからだ
ファッション畑の人間にはそういう趣があるのかもしれない。寺田蘭世は寺田蘭世を常に更新し続けている。それゆえ、その女の次の一手はその女にしか出せない。たとえ言葉にできずとも、いつだって蘭世らしさがそこにある
正解のない世界。人それぞれ捉え方は違う。それを踏まえた上で、世界で1人の自分を信じる。幼い頃から、自分の直観を信じて、ときめくお洋服でおしゃれをキメて、自分の見えない心の中を表現し、先入観を乗り越える……
私はこのおしゃれに心当たりがある
そろそろお気づきとは思うが、寺田蘭世さんのおしゃれについて考えていくと、今の今まで寺田蘭世さんについて語ってきたことが何度もオーバーラップする。私が狙ってそうしたわけでもなく、当然そうなるようにできている
なぜか
自分の心の中を表現しているからだ。寺田蘭世さんは一事が万事、寺田蘭世だ。自分の本心を言葉に載せる。自分の心の中をおしゃれで示す。両方共に偽りなしなら、口で言ったことと服で示したことは重なるハズだ。おしゃれ観とて同じことだ。寺田蘭世さんの人生哲学とピッタリ重なるのは必然だ
私はズボラなおしゃれ弱者だが、寺田蘭世さんのことを必死こいて考え続けたことで、その女について多少は詳しくなった。だからこそ、1つの偽らざる実感として、ズシンと心にくるものがある
虚飾を排した在り方を観てきたから、飾らない飾り方が伝わってくる。一貫性と多彩さが両立する姿を観てきたから、多彩な色や形を盛り込みつつも1つのおしゃれとして伝わってくる。少なくとも、昔よりは何かが見える気がする
そしてそれは逆も然りだ。寺田蘭世さんのおしゃれを詳しく知ることは、寺田蘭世という人間をより深く知ることにも繋がっていく
私はハッとした。この世の中にはいろんな人がいる。黒髪ロングが好きな人もいれば、茶髪ショートが好きな人もいる。ポニーテールが好きな人もいれば、ツインテールが好きな人もいる。人の見た目はコミュニケーションの入り口のようなもの。寺田蘭世さんはたくさんの入り口を作ってきた
寺田蘭世さんが伝えようとする自分の心の中には、全世界のあらゆる人々と出会いたいという想いも含まれていた。このことは次回以降にも語っていくが、寺田蘭世さんの世界観は境界知らずに広い。蘭世さんが考えるおしゃれとは、ひょっとすると全世界との対話なのかもしれない
自分の直感と歩む勇気を持ち、多彩な振り幅を持ち、日々自分を更新していき、世界中の人々と交わろうとする。そんな寺田蘭世さんのおしゃれはどうなっていくのか。随分と長くなってしまったが、今回は↓を持って〆とする
⑥無限の世界
実際、どうなるのか
これはアトリモさんの素敵なファンアートであり、寺田蘭世さんが着ていた私服を多めに入れて描いたそうだが、なんかすげえいっぱいある。しかもこれだけ描いてくれたにも関わらず、これらのおしゃれは数多ある内の一部に留まる
数ある要素の中、色1つとっても寺田蘭世さんは多彩だ
寺田蘭世さんのおしゃれは一色に偏りすぎずカラフルだが、その中にあって一番好きな色は "赤" と常々言っていた。幼い頃、赤と白の水玉の毒キノコみたいな毒々しいイラストが直感的にしっくりきたという、本人以外には何が何だか全くわからないスタートラインから赤を好むようになったそうだ。ファッションはもちろんのこと、図工や美術でも赤を取り入れることが多かった
しかし赤一色ではなかった
自分の信念を異様なほど貫くことで自然と多彩になる生き物。それは、小学生男子脳で生きてきた私の辞書には存在しない概念だった。一色で染め上げるスタイルも私は好きだ。むしろそれが好きだった。多色の煮え切らなさよりも、単色のシンプルな強さに納得していた。だがもし寺田蘭世さんが、Instagramを赤一色に染め上げるタイプの人間なら、私はここまで惹かれていなかったかもしれない
寺田蘭世さんが赤の次に好きな色は "白" だ。↑の逸話からして白も好きなのは必然と言えるが、一色で完結しない生き方はこの時点で既に始まっていた。そして3番目は "黒" だ。白と黒のコントラスト感を好んでいるそうで、鈴木絢音さんと心のモノローグを歌ったときも実に良きだった
順位が判明してるのはここまでだが、寺田蘭世の色彩は止まらない。黄色をまとうときの寺田蘭世は挑戦的な趣がある。青をまとうときの寺田蘭世は世界を見据えているようにも映る。その他、紫も、紫も、桃色も、茶色も、なんでも使う
アイドル業においては、イメージを固定するメリットが大きかったとは思う。自分の中にある世間ウケの広い正解を1つ探り当て、9割はそれを推して、残りの1割でアクセントを付けるぐらいの方が営業上有利だとも思う。しかし寺田蘭世さんの在り方は、アイドルというまあまあ大きい枠からもちょっとはみ出している。それもまた難しさだ。寺田蘭世さんの楽しさは常に難しさと隣り合わせだ。そうであっても、寺田蘭世さんは試行錯誤し続けた
単色主義と多彩志向の間に優劣はないと思う。それぞれの生き方に良さがある。それを踏まえた上で、多彩な生き方の良さを挙げるとするなら、
これまたアトリモさんの素晴らしいファンアートだが、もし寺田蘭世さんが寺田蘭世さんでなければここまで愉快にはきっとならなかった。「思い出が欲しい」と時折言っていたあの人は、素敵な思い出を私達に残してくれた
おしゃれには自分で自由に選べる楽しさがある。TPOとぶつかる難しさがある。秘めたる自分を開放できる楽しさがある。自縄自縛に陥りかねない難しさがある。自分を自分で更新できる楽しさがある。安定しない難しさがある
現在進行形で試行錯誤する喜びがある
過去の思い出が多彩になる喜びがある
未来の自分を発見し続ける喜びがある
自分を貫き、相手を想い、変わろうとして、変わるまいとして、喜びも、怒りも、哀しみも、楽しさも、全ての色を纏う在り方。全てがファッションと豪語する寺田蘭世さん。その1+1がたった100だなんて、私には到底思えない
寺田蘭世の数式は無限だった
無限に広がっていく世界の中で、いつかどこかでランゼブランドが誕生することを祈りつつ。次回のテーマは #挑戦
……
…………
………………
今回のタイトルは『なぜ、言葉なんか何も要らないのか』であるが、本心を言えば要るに決まってるだろと思う。そもそも私は言葉を愛する側の人間なのだ。だが寺田蘭世さんの在り方を思うと、今まで以上に言葉に向き合い、まだ見ぬ可能性を探っていかなければならないと考えるようになった。たとえ少しずつでも。挑戦する気概を持とう。そう思えるようになった
これは1つの例えなのだが、私は青い服を好んで着る。しかし、青い服を絶対視しているわけでもない。そこに信念があるわけでもない。ならば赤い服を着てもいいじゃないか。最近、そんな風に考えられるようになった
それはちょっとしたことだ。なのにこれからは、そのちょっとした挑戦のたびに寺田蘭世さんのことを思い出す。そんな気がしている
寺田蘭世1st写真集『なぜ、忘れられないんだろう?』
前回⇒なぜ、その女(ひと)はその女(ひと)なのか
次回⇒なぜ、炎と嫉妬の戦士が誕生したのか
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