なぜ、ブランコは前へ前へと歩き続けるのか
前回は、寺田蘭世さんの特徴についてあれこれ考えてみた。それを踏まえて今回は、その特徴を生み出す大元が何なのかについてあれこれ考えていく
前回、考えるきっかけをくれたのが、熱い気持ちでぶつかるのとは対極の意味合いでの "引きの冷たさ" だ。なので今回はまず、寺田蘭世さんの冷たさ、難しさ、冷静、疑問……といった諸々の特徴がどこから来ているのかを考えてみる
考える……
考える……
よし、考えた!
仮説①:寺田蘭世は自分を信用しきれていない
寺田蘭世=信念の人という前回の前提をいきなりひっくり返すようだが、寺田蘭世は自己不信の人でもある。事実、ビックリするほど自分に自信のない人だった
初期のブログからは自信のなさがダダ漏れしている。そしてその後の活動でも、自己嫌悪と鬩ぎ合っている瞬間が多々あった
なぜか
寺田蘭世さんは不器用な人であり、いわゆる劣等生だった
勉強もダメ、運動もダメ、自慢できるような特技があるわけでもない。昔は料理もできない。昔は自転車にも乗れない。幼き頃は自分の声が本当に苦手だったとも聞く。美術の成績が良い方だったり全てにおいてゼロではなかったようだが、かつての寺田蘭世さんは自己肯定感が恐ろしく低かった
その後、日々成長を重ねることでちょっとずつちょっとずつ自信を蓄えていったようだが、常に自信満々かと言われるとそんなことはなかった。それどころか、第2回で言及したように寺田蘭世さんは元々怖がりな人だ。先日も先日、待望の写真集の出版に際してビックリするほど怯えに怯えまくっていた
寺田蘭世は強者として生まれてこなかった。むしろ弱者であった。だからこそ、乃木坂46に ―― この話についてはあとあと言及するが、兎にも角にも寺田蘭世さんの言動からは、自分自身への不信感がちょくちょく漏れ出していた
この様子では、常にイケイケな方が不思議に映る。寺田蘭世さんの引きの冷たさ = 自分に自信がない人間特有の細心な性格。たぶん、正解の1つではあると思う
しかし、それだけだろうか
もし本当にそれだけの人間だっだとしたら。なぜ皆が口を揃えて「寺田蘭世は自分を貫くやつだ」と語るのか、という逆の問題が浮上してくる。この寺田蘭世では冷たく縮こまる一方だ。 "熱い" とまで言われる部分に全く説明がつかない
こんな人間がどうやって "熱さ" を生み出しているのだろうか
仮説②:寺田蘭世はマイナスをバネにする
一種の反骨精神だ。御本人曰く、トランポリンも1回小さめに飛んでめっちゃ沈んでから凄く高く跳ねるという。初っ端で沈んで、それを揶揄される人生を送ってきたからこそ、そこから這い上がる生き方が染みついているのかもしれない
これまた第2回でも触れたように寺田蘭世さんは泣いても退かない人だ。"弱いけど強く生きていくしかない"。寺田蘭世さんには逆境をバネにする精神がある
しかしそれだけだろうか
自己不信に基づく冷静さも、反骨精神に基づく熱量も、寺田蘭世さんの行動原理としてそれなりの説得力はあると思う。正解の一部ではあるかもしれない
しかしそれらは "否定" によって生まれる力だ。私の経験上、そういう力は脆い。もしも寺田蘭世という人が、慢性的な自己不信や一過性の反骨精神のみで成り立っているのなら、もっと不安定な人間になっていそうなものだ。少なくとも、"絶対にブレない大きな柱" とはきっと言われない。先日の乃木坂お試し中で鈴木拓さんが言及したように、寺田蘭世さんは基本的に堂々としている
寺田蘭世は一筋縄ではいかない
8年間は長い。ひとひとりのメッキが剥がれるには十分な時間だ。自信のない者が半ばヤケクソで突撃しているだけなら、お世辞でもこんなことは言われまい。私はまだ捉えていないのだ。寺田蘭世さんの "芯" を
芯
寺田蘭世さんの中には "芯" がある。前回は、多彩な振れ幅の支点として "芯" の存在を挙げたが、人生の原動力そのものでもあるハズだ。結局のところ、それがわからなければ寺田蘭世さんを理解したとは言えない。そしてその芯とは、
わからん
あらかじめ断っておくと、究極的にはわからない。他人が一言でバシッと言葉にできるもんでもない。それを踏まえた上でこの先を読んでほしい🙇
私が思うに、芯が強いだの太いだの言われる人の本質を捉えようと思ったら、その人がどこに重心を置いているかを考えるのが良きと思う。すなわち、寺田蘭世さんが何を大事にして生きているか。それなら1つ、心当たりがある
仮説③:寺田蘭世は個性を極めて大事にする
寺田蘭世さんは個性を大事にする人だ。この8年半、あるいはこの世に生まれ落ちてからの23年間、時には自分のことをわかってもらえなかったり、時には自己嫌悪に陥ったりしながらも、決してその一線を譲らなかった
寺田蘭世という人間について、私が最も信じられることの1つが「寺田蘭世は個性を大事にする」ということだ。むしろ、そこが信じられないようならこんなテキストはもう書けない。それほどまでのこだわりが見て取れる
そしてそれは他者の個性も含んでいる
自分の個性を認めろと世間に訴えることは、1つ間違えば「私だけを贔屓しろ」という、他者の個性を殺す主張になりかねない。しかし蘭世さんは違った
寺田蘭世さんは、2016年の16thで初めてアンダーセンターになった。いかに下部組織のアンダーとはいえ待望のセンターになったのだ。先日のセンター宣言を踏まえると、自分がてっぺんにいることを強調しそうなものである。しかし寺田蘭世さんは、自身のことを "座長" と呼ぶなと皆に言っていた
寺田蘭世さんが真ん中に立つステージは個性の塊だ。その女がひとたびセンターに立つや、世界が変わる。寺田蘭世の個性が火種となった独自の世界。そんな愉快なライブを私はいつしか愛していた。寺田蘭世の『ブランコ』は寺田蘭世にしか漕げない。そういう魅力があった
ただ、それはそれとして。当の本人は己の個性を振り絞る一方、メンバー全員が画面に映り、1人1人の個性が活きることに人一倍こだわっていた。寺田蘭世さんのそういう一面を私は疑問に思い、そして好きになっていった。
誰も同じ人はいない。記録を片っ端から掘り返して改めて思うことだが、寺田蘭世という人間を考えていく上でこの言葉は特に重要だと思う。その言葉が持つ意味を、幼い頃から人一倍深く受け止めているのが寺田蘭世さんだ
これは2016年=18歳の頃の発言だが、同様の発言を中学生の頃には行っていて、ひょっとしなくとも乃木坂46に入る前からそういう考えだったのかもしれない。自分を貫く熱さがある一方、引きの冷たさを併せ持つことができるのは、個性⇒多様性を重んじる考え方が芯にまで根付いてるからではないか
寺田蘭世さん曰く、この世は正解のない世界だ。そしてだからこそ、1人1人に正解がある。寺田蘭世さんは時折、ブログやインスタでファンからお悩み相談を受けることがあった。そしてそういうとき、寺田蘭世さんは自身の経験や見解を語りつつも、最終的には相談者の個性に委ねていた節がある。時には、自分を参考にするのはよくないとまで言ったりもした。身も蓋もない言い方だが、寺田蘭世さんとはそんな人だった。十人十色、個性を大事にする個性を持っていた
自分の信念を貫くタイプの人間としては、多様性の尊重に重心を置くことは時に矛先を鈍らせるかもしれない。だが、私はそれを得がたい長所だと考えている。寺田蘭世さんの迷いからは他者への優しさを感じるからだ
アイドル卒業を控えた今、「多様性を認められること」が自分の強さだと、寺田蘭世さん本人が語っていた。私は何やら無性に嬉しくなった。多様性の世界はある種孤独な世界でもあるが、寺田蘭世さんは世界と対等に生きている
寺田蘭世さんは個性を大事にする。他者の個性も大事にする。そしてもう1つ、この世に1人しかいない自分の個性を大事にするからこそ、
寺田蘭世は前へ前へと歩んでいく
貪欲に生きる寺田蘭世さんを観ていて常々思う。変わらぬ自分であり続けるということは、今いる場所から一歩も動かないことを意味しない。むしろその逆だ。この世にたった1人の自分が、心から望んでいる方向へと妥協なく歩き続ける。それができるからこそ、寺田蘭世さんの言葉は熱を帯びていく
イバラの道ではある
特に今はSNS全盛時代だ。寺田蘭世さんにとってこれは両極端な意味を持つ。誰でも発信できるというのは、多様性を大事にする人にとっては喜ばしいことだ。一方で、クソミソに言われて個性が潰されかねないという意味では難しいことだ
寺田蘭世さん自身、アイドル業の中でそれこそ色んなことを言われてきた人だ。時には心が折れそうになっていた瞬間もあるハズだ。長い年月を経て、様々な試練を乗り越えてきた今でも、そこへの怖さが完全に消えることはない
みんなそれぞれ違う人間だからこその軋轢もある。多様性を大事にすればするほど、反対意見を安易に一刀両断できない難しさもある。しかしだからといって、恐怖に呑まれるわけにもいかない。そんなとき、人はどうすればいいのか
寺田蘭世さんは強い人だと思う。非力で、未熟で、臆病かもしれないが、そうであってもなお、寺田蘭世という人のことを "強い"と私は考えている
寺田蘭世さんは妥協しない。怖さがあって、迷いがあって、二重のブレーキがありつつも。この世にただ1人の自分を信じる気持ちがエンジンとなり、気合のアクセルをベタ踏みしながら前へ前へと突き進んでいく
自分を信じる。口にするのは簡単だが、とてもとても怖いことだ。だが寺田蘭世さんは信じていた。寺田蘭世さんの言動の1つ1つには、自分の個性を貫きたいという強固な意思が宿っていた。恐怖を乗り越えるほどの人並み外れた意思だ
寺田蘭世の芯には、揺れながら前へと進む力がある
それは "肯定" によって生まれる力だ。そこから生まれる力は真に強い。寺田蘭世さんは自分を信じて歩んできた。決して後ろには退がらなかった。そのことを裏付けるのが、8年半に渡るアイドル活動そのものだった
寺田蘭世さんには太い芯がある。記録や記憶をひっくり返していく中で、私は改めてそう思った。芯は目に見えない。しかし、芯から生じた活動の軌跡は残る。たとえ1歩が0.5だったとしても、前へ前へと歩き続けた軌跡が芯の太さを示している。だから私は、寺田蘭世さんの軌跡についてさらに語っていきたい
寺田蘭世の軌跡は写真集へと繋がっているから
次回は、個性と共に生きる寺田蘭世さんのルーツについて、生まれてこの方ずっと連れ添ってきたアイツをきっかけにして考えていく。テーマは #共有
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ライブ中の『ブランコ』の振り付けで、踊ると云うよりは揺れながら前へ前へと意思を放つ姿が好きだった。普通、ブランコというのはその場にあって前後に揺れるだけだが、あのブランコは違った。ゆっくりと、それでいて、しっかりと。寺田蘭世さんの『ブランコ』はそれが異様なほどしっくりときた
寺田蘭世さんの卒業後、誰かが『ブランコ』を継ぐのかもしれない。もしそうなったときは、その人なりの『ブランコ』を漕げればきっと良きと思う
この世に同じ人はいないから
寺田蘭世1st写真集『なぜ、忘れられないんだろう?』
前回⇒なぜ、ブランコはしっかりと揺れ動くのか
次回⇒なぜ、ひょろひょろくんこそが相方なのか
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