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襲われるのは女性の方にも非があるというヴィクティムブレーミングと過剰な自己責任論

先日、ソロキャン女性が性被害に遭った件で、様々な意見が散見されてそれを興味深く見ていた。

中でも特に目に付いて気になったのは「自衛しない女性にも非がある」という意見で、

痴漢でも性被害でも、どんな短いスカートを履こうがソロキャンしようが襲ってくる加害者が100悪いのに、

「自衛しない方にも非がある」

「劣情を煽る方にも責任がある」

ってさも正しいように被害者批判が起こるのは『ヴィクティムブレーミング』と言う。なぜか加害者を庇ってしまうもので、倫理観が底辺であると自ら暴露してる赤面ものの認知のバグです。

加害者に「性欲をコントロールできないのになぜ異性と2人きりになったんだ」とは言わず、

被害者に「性欲をコントロールできない異性と2人きりになった責任」を問う。

下手すりゃ「襲われる側にも隙があったんだから仕方ないよね」という加害者加担とも捉えられる思考、さらには解決を被害者に求めるもので、

「男性が襲わなければ事件は起きなかった」ではなく、「女性が短いスカートを履かなければ事件は起きなかった」というトンチンカンな着地点を得てしまう。


さらに今回ヴィクティムブレーミングよりも言及したいのはここに発生している

「過剰な自己責任論」で、

今回のソロキャンの被害者に対して、「自衛しない女性の方も悪いのでは?」「俺は貴重品を携帯してるし南京錠かけて寝る。男でもそれくらいする」etc.の自己責任を問う声。

いや、キャンプで自衛なんて「女性はキャンプしない」になるよね?男性が本気で襲えば女性に『自衛』する術はない。


最近、そのような自己責任論が過剰に発展してるなと思う。

他人を批判する時に殴る棒として、

自分の正当性を示す過剰防衛として、


子育てが大変だと言う人に対しての、「産む前から分かってたはず。自己責任」を始め、

虐待事件が起こったときに、「じゃあどうすれば防げたか」よりも「虐待するなら産むな」という自己責任論に終始していること。

残念ながら社会が成熟していなくてそれに伴う人々の倫理観がそれなり、という現状の暴露である。

事件が起きたとき、自己責任を突くのはただのストレス発散&ヴィクティムブレーミングという認知バグが起こってるという事、どうすれば防げるかを考えるのが社会の一員の責任である事を自覚したい。


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