愛する気持ちも、こわい気持ちもある国【ネパール】
ネパールも、そこで出会った人たちも、本当に大好きだ。
でも、大切な気持ちがくるっと反転してしまうとき、
自分の気持ちに揺るぎがあったことに動揺してしまうのだ。
今年のGWに、7日間の連載企画として、
「リクガメのふるさと道の駅」という企画をやっていた。
こういった公開するような文章を書いたことがなかったので、
初めて投稿するときはかなり緊張した。
何度も推敲した後、「これでよい!えいや!」
という気持ちで毎回公開していた。
そんな中で、TwitterやInstagramを通じて、
「家族のリクガメの回を読んで、そのふるさとの国に興味を持ちました」
「行ったことのない国ばかりで、とても興味深いです」
ということばをいただくことがあった。
むずがゆい気持ちもありながら、自分自身も思い入れのある、
少し行きにくい、それでも大切な国々に興味を持っていただけたことに、
本当に感謝でいっぱいである。
書き始めるにあたって迷っていたことは以下の記事に書いたが、
最初にこの企画を始めようと思ったときの理由は、
今回の企画から少し変わっている。
最初に書こうと思ったきっかけは、こちらの記事でまとめてある。
上の記事にもあるが、昨年末の自分は、こんなことを悩んでいた。
7日間のリクガメ×そのふるさとの国の紹介記事、
そしてその延長でこのアカウントで書いた、
それぞれの国でのエピソードや考えたことをまとめてきたが、
果たして私は最初の2つの問いへのこたえを見つけたのだろうか?
その答えを考えるにあたり、ネパールという国は、
私の中で書くのをためらうくらい、
7日間の連載企画で一番最後の国になるくらい、
愛していると同時に、こわさもある国だった。
ネパールに住んでいたのは、コロナが流行し始める少し前時期だった。
ネパールで出会った人たちには、
本当に家族のように温かく迎え入れていただき、
何度も友人宅に泊めてもらったり、
一緒にごはんを作ったり、一緒に食べたり、出かけたりと、
今まで訪れた国々の中で、間違いなく一番人と地域に触れ合った場所だった。
地方の出張中は、仕事が終わってから、
同僚であり大切な友人と、節約のために同室にしたホテルの部屋で、
お互いのこれまでやこれからのことをいつも話していた。
気づいたら4時間近くしゃべっていて、
慌てて夜ごはんを食べに行ったこともあった。
帰りの飛行機に乗る4時間前、
一番親しかった友人とのごはん会では、話せなくなるくらいぼろぼろ泣き、
帰国する飛行機に乗って遠くなるカトマンズの風景を見ては、
またほろりと涙がこぼれた。
それくらい、ネパールで出会った人たちが大好きで、
みんな元気でいてほしい、また会いたいと思えるような人たちだったのだ。
日本に帰国してから、コロナ渦となった。
ネパールの状況も心配で、一番親しいネパールの友人が、
コロナ病棟で働き始めた話や、親しかった家族や親戚の話を聞きながら、
どうかみんな元気でいてほしいと願っていた。
しばらく経ってから、私自身が、
職場やプライベートでのしんどさが重なり、体調を崩した時期がある。
その時は、ガス欠状態で明らかに体調が優れず、
きっと十分に休まなければならなかったのに、
命の前借りをするかのように、
自分自身が存在している価値を見出そうとするかのように、
必要以上のエネルギーと集中力を出して日々を送っていた。
そんな時、一番親しいネパールの友人からFacebookメッセージが来たので、
思わず弱音を吐いてしまったのだった。
自分の今の状況と、自分がしんどく辛く感じていることを、
訥々と英語で書き記した。
そのメッセージに対する返事が、どうしても自分で受け止めきれなかった。
「どうしてそんな悲しいことばっかり言っているの?
私が一緒にたくさん話した、私が知っているこむぎじゃないよ」
「facebookのスパムが送ってきてるわけじゃないよね?」
私も友人も、第一言語が英語ではない。
お互いの気持ちや意味合いが、第二言語で伝えるにあたり、
少しずつずれてしまったのかもしれない。
ただ、当時、そのメッセージに苦しくなってしまい、
それ以降しばらくはFacebookメッセージが開けなくなってしまった。
それでも、長く過ぎ去る時間が助けてくれることがあると、
私は最近実感することが多い。
ずっと返せなかったメッセージを、
友人の誕生日である春に、
昨年は送れなかった誕生日メッセージとともに送ることができた。
「友情が終わったかと思っていた」
「こむぎからメッセージをもらえて嬉しい」
そんなメッセージをもらって、また大切に思える人として、
関係を続けられるのだろうか、と私も探り探りでやり取りをしている。
少し間が空いた友人との関係を、再び始めようとするとき、
絡まった糸をほぐすようで、
むずがゆく、難しいと感じることもある。
変なところで結び目ができないように、
強くひっぱりすぎて切れてしまわないように、
触れない方が良いところには触れないようにと気を付ける。
また、傷つけるようなことを言ってしまったり、
傷つくようなことを言われたと感じたりするのではないか
と思うこともある。
それでも、私はその人たちをどこかで大切に思っているからこそ、
また手探りでメッセージや会話を続けようとしてみるのだと思う。
会話のボールをふわっと投げかけてみて、
向こうの気持ちやタイミングがよくなったときに、
また新しい形で関係が続くことを願うのである。
ネパールは、私にとって、本当にかけがえのない、大切な国である。
ただ、思いを込めた時間と強さ、
そして、自分が上手に線を引けなかったことで、
きっと自分自身も相手も傷つけてしまったことがあったと思う。
改めて問い直そう。
・遠くにいる関わった人々や場所へ思いを馳せるということが、徐々にできなくなってきている自分への悲しみや不安
それぞれの人が、それぞれの大変さの中で生きているからこそ、
時々ですべてを受け入れられないときもある。
だけれども、自分自身も無理をしすぎず、
少し隙間や余裕を持つように心がけることで、
そして、受け取れると思うときに受け止めたり、
無理なく思いを馳せることだけでも、
その国やその国に住む人たちを思いやっているのではないだろうか。
・とはいえ、翻って、自分自身や自分の大切な人たちのことは大切にできているのかという疑問
思い立ったときに、意識し続けて、
大切に思う行動をとるしかないのだと思う。
いつかくる、もしかしたら突然の別れに、
「本当に大切にできていたのだろうか」
「感謝を伝えられていたのだろうか」
と思うことはたくさんあるのだから、
日々の意識に入れたいと願ったときの気持ちを忘れず、
自分自身と周りの大切な人たちと関わっていくのだと思う。
ここまで読んでくださり、ありがとうございました!
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