スタートラインは“後悔”。【セクシュアリティと私 第一章】
※ 本企画は、親愛なるライターさんに執筆依頼しています。対談をもとにまとめてられており、自分で書くにはもどかしい部分まで丁寧に記述して下さったこと、心から感謝申し上げます。
「セクシュアリティ」と私
このnoteは、小麦の思考を深掘るシリーズの第一弾。
はじめに
日頃から、文字情報として残しておきたいことや誰かの心に引っかかったらいいなと思う事柄を文章化し、noteに記録している小麦さん。ライフワークの一つとして、セクシュアリティに関する講演会やSNS発信なども行っています。
今回は、初対面の方との会話でよく聞かれる「どうしてセクシュアリティを学び始めたの?」「興味を持った理由は?」「活動の動機は?」といった質問に答えるべく、記事の執筆に至りました。
セクシュアリティに対する小麦さんの関心を、インタビュー形式で紐解きます。それでは、第一章:スタートラインは“後悔"。
「無知の知」から、自分を見つめ直すことに
―――― セクシュアリティや、セクシュアルマイノリティと呼ばれる人たちに関心を持ったきっかけは?
転機は、大学時代の2つの出来事です。
1つは大学の授業で、自分の無知さを知ったこと。
私が通っていた東京都立大学では2年目から専攻(大学で主に学ぶ分野)を選ぶので、1年生の間は好きな授業を好きなだけ履修できます。
心理や哲学、文学とかいろんな授業を受けながら、「自分は何に興味があるんだろう」と模索する一年目でした。
その中で、社会学系の「クイアスタディーズ入門」みたいな授業をとった時に、初めてLGBTQという人たちについて学びました。それまでも聞いたことはあったのですが、恥ずかしながら、どのような方を指すのか適切に知らなくて。
―――― 初めて学んでみて、どうでしたか?
びっくりしました。こんなに自分の知らないことがあったのかと。知らなかったけれど、すごく身近なこと。
鬱発症率が高いこと、自殺率が高いこと、人口の8.9%*、つまりクラスに1人はいたんだろうな、といったことを学んで。
きっと私は、いろんな人たちを傷つけてきたんだろうな、と思い知って。
やばい、勉強しないと私は人を傷つける。
誰かの死にすら繋がるような言動をしてきたし、これからもしてしまう。「無知の知」を体感した。それがきっかけでした。
それからは、論文を読んだり、学外のオンラインイベントに参加したりしました。大学の専攻は社会人類学を選びました。
社会学を学んで、世の中にこんなにいろんな人がいると知ったから。それまでの私は、戦争のことも病気のことも、社会にある多様な課題について全然知りませんでした。
―――― その中でもLGBTQの話は、特に身近に感じられたのですね。
10人に1人いるはずの人が、私の周りには1人もいない。それはつまり、”私に誰も言ってない”ということ。「こわっ。絶対にいるのに、言えなくさせてるやん、自分」と。
何気なく言っていたんです。「彼氏いるの?」とか、「どんな異性がタイプ?」とか。
「私の周りにLGBTQの人はいないです」って言ってしまう人がいるけど、そのくらい、私も1人もいないと思っていました。絶対に身近にもいるのに。
そして、当たり前にいたんです。それが、二つ目のきっかけです。
「どこかの誰か」は隣にいた
―――― LGBTQの当事者の子が周りにもいると、知るきっかけがあったのですね。
勉強するようになってから、みんなにも知ってほしくて、インスタグラムなどでLGBTQにまつわる発信を始めました。自分自身の言葉遣いにも気を配るようになりました。
そしたら、自分のセクシュアリティについて話してくれる友人がすごく増えてきて。
話しかけてきてくれた人の中には、幼少期から仲良くしている人もいました。それは振り返れば、何年間も私にそのことを言わずに仲良くしてくれていた、ということ。
その人たちに対して、私は傷つけるような言葉を投げかけたり、嘘をつかせてしまったりしていた、と気づきました。
本当に申し訳なくて。「どれだけ私は、配慮できてなかったんだろう」と。
―――― どんなふうに話してくれたんですか?
「実はさ、誰にも言ってないんだけど、彼女いるんだよね」とか。
以前、その人からは「恋人がいる」と言われた時があって。私は「え〜誰?この人?あの人?」と、男性の中から候補を上げていって、誰もいなくなって「いないよ?」って。
それがのちのち、「実はさ、前そういう話したじゃん。あれ、誰々なんだよね」と話してくれて、「恋人は同性だった」とわかって。
自分がいかに異性愛規範的な会話をしていたかを痛感して、すごくショックでした。
その人も本当はポジティブに恋愛の話をしたかったかもしれないのに、私がそんなところでつまずくせいで「あ、もう、この人いいや」となって、話さなくなってしまう。
恋バナって基本的にハッピーな話題のはずなのに、黙らせてしまっていた。恥ずかしかったですね。「無知の恥」の連続でした。
―――― 周りの人と対峙して得た感情は、身に迫るものだったでしょう。
もっと勉強したいという気持ちが湧いてきたのには、罪悪感もあったのかもしれません。
ずっと言えずにいた友人やLGBTQの人たちに声をあげさせるのではなく、アライがどれだけ頑張るか。
それが寛容な社会を作る上で大事だと思って、頑張り出したのが二回目の転機でした。
卒業論文も、このテーマで書こうと決めました。協力してくれる友人もこれだけ周りにいるから、その声を拾って記述したい、研究したいと思って。
―――― いろんな無知に気づくことで、価値観が変わっていったんですね。
でも一番大きいのは、大切な友人のAでした。ある日、Aがすごいモジモジしながら、カミングアウトしてくれて。そして、「ずっと死にたかったんだよね」って。
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