ミニポートフォリオ。日常から研究まで【セクシュアリティと私 第二章】
※ 本企画は、親愛なるライターさんに執筆依頼しています。対談をもとにまとめてられており、自分で書くにはもどかしい部分まで丁寧に記述して下さったこと、心から感謝申し上げます。
「セクシュアリティ」と私
このnoteは、小麦の思考を深掘るシリーズの第一弾。セクシュアリティに対する小麦さんの関心を、インタビュー形式で紐解きます。
詳しくは【第一章】から⏬
それでは、第二章:ミニポートフォリオ。
大学在学中からホームレス時代。私にできることは?
―――― 大学時代はセクシュアリティ関連の活動もされていたんですよね。
そうですね。大学時代は、大きく分けて4つの活動をしていました。
一つ目は、日常生活での心がけ。
二つ目は、就職活動の軸を大きく変えた短期インターン。
三つ目は、岡山のイベント開催を始めとする場づくり。
四つ目は、バイセクシュアルをテーマに据えた卒業研究です。
1)半径5メートルの会話を変える。
日常的に心がけていたのは、間違っていることにNOと言うこと。たとえば「それ、偏見ですよ」と。
大学時代は最強のアライでいたかったので、学校で「お前、ホモじゃねえの」と言っている人がいたら「それ、やめた方がいいよ」とか。「あの人、ゲイなんじゃない?」って面白そうに話している人がいたら、「それ、面白くないよ。ゲイだったら何?」みたいに、気になったことを伝えるよう心がけていました。
それで嫌な顔をされることもあります。
「小麦ちゃん、彼氏いるの?」って聞かれた時のこと。「その言い方やめた方がいいですよ。私のこと、恋愛もするし、男が好きな人だと勝手に思ってますよね」とツッコミを入れました。
「もし恋人の有無が聞きたいのであれば、私は『付き合ってる人いますか?』とか、ジェンダーに縛られない表現をするようにしてるんです。その方がいいですよ」と伝えたのですが、「そんなこと言われたら、コミュニケーションできないじゃん。会話の一部なんだから」と言い返されてしまって。
たった一言、変えれば済む話なんですけどね。そんな経験もありました。
ただ、そういう悪気のない発言って世の中にたくさん転がっている。
そして「その発言は差別だよ」「よくないよ」って指摘することは誰でもできる。みなさんにも実践してみてほしいですね。
あとは、インスタグラムなどで地道な発信をしたり、自分の発言を変えたり。自分の使う言葉に気を配ることは、何より大切だと思っています。
あと、間違えてしまったらすぐに謝ります。「ごめんなさい、無配慮だった」と。
2)短期インターンで学んだ、ありのままで働けることの大切さ
大学2年生の時、友人が働いていた株式会社JobRainbowからお声がけを受け、短期インターンを経験しました。これが自分にとって革命の瞬間でした。
働き始めたモチベーションは率直な興味と、自分の関心分野を通じて社会と関わりたいという気持ちでした。でもインターンで得たものとしては、社会に貢献した実感よりも、自分の内面の変化が大きかったです。
当時の夢はキャビンアテンダントだったので、それまで就職先は大手航空会社を考えていました。ただ、実際に航空系の企業に行くと、みんな同じような髪型で同じようなスーツを着て、できるだけ無個性にしながら少しの余白の中で工夫して働いている印象を受けたんですよね。
だからこそ、Jobrainbowの職場環境は衝撃的でした。
その日にしたい格好で出勤して、「今日呼ばれたい名前はなんですか?」と聞かれる。そういう環境で働いている人たちがいて。
自分の“個”を消すのではなく、ありのままで働ける場所の方が最大のパフォーマンスができるのでは、と気づきを得た瞬間でした。
そう考えると、仕事の内容よりも働く環境の方が大事なのではと思って。逆に、自分らしく働けないことでむず痒さを感じている人ってLGBTQの人に限らず、たくさんいるんだろうなと感じました。
もう一つ、ここでのインターンシップの一環で、TRP*のメインスポンサーをされている株式会社チェリオコーポレーションさんにインタビューを行った時のこと。
お話を伺う中で、社会に対して何かをしよう、良いエンパワーメントを生み出そう、社内環境をよくしようと活動されているチェリオさんの思いを知り、飲料業界に対するイメージが大きく変わりました。
それまで就職活動で選択肢に入れていなかった業界でも、働きやすい環境下で、自分の関心分野を活かせるのかもしれない。JobRainbowでのインターンは、働き方に対する考え方を大きく変えてもらった、貴重な時間でした。
3)境界線を溶かすには、場作りだけでは足りない
全国を旅*していた大学4年生の時、実践的な場づくりへの興味が湧いてきました。
その頃、LGBTQに関する私の発信に対して「自分の周りにいないから」と、周囲に当事者はいないと話す人が少なくありませんでした。
アライの存在の重要性は感じていたけれど、よく考えたら「交流の場所が無さすぎないか?」と。
自分のセクシュアリティを隠している人たちにカミングアウトしてほしいわけでは決してないけれど、オープンに生きている人たちとすら、日常生活でセクシュアリティを隠さずに関わる機会ってほとんどない。
LGBTQ当事者といわれる人たちと非当事者といわれる人たちが、カジュアルに話せる空間があったらいいなと思いました。
でも、そんな場所はゲイバーくらいしか思いつかず。
そこで、当時滞在していた岡山県で、昼間に軽食を食べながら話せる『LGBTバー』を友人と主催しました。
「自分のことを女性と思う人ならどなたでもどうぞ」という条件で参加者を募集して、結果的にレズビアンとバイセクシャルの人、あとFtM*の人たちを中心に、人づてで計30人くらい集まりました。
本当は”当事者”と”非当事者”が交流できる場所にしたかったのですが、実際に集まったのは、ほとんどが”当事者”の人。”非当事者”は友人一人しか来ませんでした。それで、その子がアウェイになってしまって。
そこが新たな課題でした。
いわゆる当事者たちはマジョリティの世界では居心地の悪さを感じて生きづらさを覚える。一方、当事者が多数派となって居心地よく過ごせる環境においては、新たなマイノリティを生み出し、居づらさを覚える人もいる。
歯痒さを感じました。そのイベントは一回限りの開催でしたが、気づきが多く、本当にやってよかったです。ただ「集まろう!」「楽しいよ!」とするだけでは境界線は無くなりません。
今でも「”偏見ない人たち”と当事者が集まれる場づくりしない?」と声をかけてくる”非当事者”の方々がいます。
そもそも「偏見ないよ」とわざわざいう人は、大抵、差別的な偏見をお持ちのように思います。
根深い境界線を溶かしていくには、工夫が必要です。
4)”バイセクシュアルならでは”の経験に触れる
大学での最後の年、”異性愛者でも同性愛者でもない人たち”をテーマに卒業研究を実施しました。LGBTQの議論や論文から見落とされがちな、女性マイノリティの人たちに視点を当てて研究をしたかった。
「女性であり、異性愛者でも同性愛者でもない人たちについてどう思うか」といった内容の意識調査をオンライン上で配布して、200人以上からアンケートを集め、当事者へのインタビューも行いました。
「同性愛者についてどう思いますか?」と聞く研究は今までたくさんあったんです。でも、「バイセクシュアルに対してどう思いますか?」という研究はなくて。そこに違いがあるのではないかと仮定して研究を進めました。
一つの結論としては、女性同性愛者や男性同性愛者に関するデータと比較して、女性両性愛者の人たちに対する嫌悪感はすごく薄いということ。
「自分も襲われるのではないか(原文ママ)」という、同性愛の性的指向に対しての「脅威」が両性愛者だと分散されるのではないか、またメディア表象でもバイセクシュアルは「どっちもいける人(原文ママ)」として描かれることから「脅威」というより好意的な捉え方をされる傾向があるのではないか、というような考察があったと記憶しています。
インタビューでは4名の当事者の人と話しました。
そこで感じたのは、LGBTコミュニティの中に居場所を見つけられず、かといって異性愛コミュニティの中でフィットしているわけでもない、それぞれの場所での過ごし方を見出している人たちがいるということ。
彼らは、どちらにも“化けている”んですよね。
異性愛コミュニティの中では好きな男の人の話をできるし、レズビアンコミュニティでは好きな女の人の話をする。でも、本当に自分らしくいられる場所はないと感じている。
世の中は、異性愛や同性愛のように一つの性に性愛感情を抱く「単一性愛(monosexual)」がマジョリティ。バイセクシュアルを代表とする「非単一性愛(non-monosexual)」の人たちには、この世の中をサバイブする彼らならではの振る舞いがある。
いろんな人の話を聞き、参考文献を読む中で、そうした傾向があるのではないかという結論に至りました。
LGBTの中でも見落とされがちな”異性愛者でも同性愛者でもない人たち”。彼らに”化ける”ことを強いている社会のままでは、課題*が残るなあと思っています。
長くなってしまったので、ここまで。学生時代に取り組んできたアレコレでした。
次回は…(余談)大船渡に移住して1年半。今も活動を続ける理由。皆さんにいま、1番伝えたい内容は次回かもしれません。
ここまでお読みいただき、本当にありがとうございます!
よろしければ、続きもお楽しみに。
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