まるで幽霊の擬似体験| A GHOST STORY
映画『A GHOST STORY』を観ました。
台詞の少ない映画です。
主人公は冒頭で亡くなり、幽霊になるのですから。
これは亡くなった主人公が妻を見守る物語です。
1.33 : 1
この映画は「スタンダードサイズ」と呼ばれるアスペクト比で制作されています。アナログテレビの比率と同じ、と書くとイメージしやすいでしょうか。
1.33:1の四隅が丸くなった画面で映画が映し出されます。
通常よりも小さく、黒枠に多く囲まれた画面。
この画面サイズで観ていると、普通に映画を観ている時よりも「観ている感」が際立ちました。映画を「観る」というよりもカメラのファインダーを覗くような「観る」に近い。
亡くなった主人公は妻を見つめます。
喋りかけることも、触れることも出来ません。
観ているわたしも同じなのです。
ただ、この場にいるだけ。
生きている彼の妻を観ているだけ。
生活を覗き見しているような錯覚に陥るのは、きっとこの画面サイズの効果なんでしょう。
映画だからそれで当然のはずなのに「観ていることしか出来ない」と思ってしまうんです。目の前にいる彼女があまりにも遠い。違う世界にいるように感じるのです。
まるで、幽霊の擬似体験。
5分間の長回し
映画の序盤、妻がひたすらパイを食べている長回しのシーンがあります。5分程でしょうか。台詞を発するわけでもなく、画角が変わるわけでもなく、妻役のルーニー・マーラがただただ口にパイを運び続けます。
飽きる人も、長すぎると思う人も多いであろうこの場面にわたしは釘付けでした。その5分は「生きている」を明確に描いているように思います。
当たり前のことですが、生きていないと動かないんですよね。
その5分の長回しの中で動くのは妻だけ。周りの家具や食器は勝手に動いたりしません。奥に幽霊として存在している主人公はその場でただ妻を見守っているだけ。動きがあるのは生きている妻だけなんです。
家に1人でいることにどうしようもなく寂しさを感じた時のことを思い出しました。少し開けた窓から入ってきた夜風でカーテンが膨らんで、自分以外に動くものがあるっていうそれだけのことに安心して泣きそうになった夜のこと。
生きている彼女は動くんです。
そして、食べる。
この映画に出てくる幽霊は黒い目がついたシーツを被っています。それでも感情は伝わってきますが、表情は動きませんし、生きている者に声を掛けることもありません。
動きのある生きている人間をただ見つめる幽霊の画に、特段感情移入できるわけじゃないんです。そこが上手い。あるのは「何もできない」虚無感。
生きている間に幽霊を擬似体験したい方にお勧めです。
幽霊になったことがないので本当のところは分かりませんが。
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