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伊右衛門とエイリアンと年賀状

昔好きだった人から届いた年賀状には、手書きで、今体調が良くないこと、年始の挨拶はもう辞める、という旨が書き添えられていた。
ただ、その手書きの文字は、ミシンの糸が絡まったような、読みづらい彼の文字ではなかった。

好きだった、というのは10年以上も前のことだったし、メールやLINEのやり取りもしていなかったし、会ってもいなかった。それでも、毎年年賀状が届いていた。
元々、めんどくさがりの私は、元旦に届いた年賀状に返事をする程度でしか年始の挨拶もしなくなり、父が亡くなり喪中になった3年前からは返事すらもしなくなった。

20代に突入したばかりの私にとって、約10歳近く離れたその人は良き先輩であり、良き兄だった。その「憧れ」が恋愛の類の感情に変化するのはそう遅くなかった。だけど、彼との関係は、それ以上に発展することはなかった。相手にもされていなかったのだと思う。

私の誕生日が近づいたころ、「いえもん、用意しとく」と言われて、当時好きだったTHE YELLOW MONKEYのアルバムでも買ってくれるのだろうかと思っていたら、お茶の「伊右衛門」だった。
映画「エイリアンVSプレデター」を見に行った時、すぐ掻いてしまう私の手首を彼に掴まれたまま最後まで鑑賞した。捉えられたエイリアンの気分だった。
「おもしろい奴がいる」と鳥肌実を教えられた。どう返事をしていいのか一晩中悩んだ。
「ここめっちゃ良かったで」と進められた山と旅館の地図は、全くわからなくて行けず仕舞いだった。
メールで定期的に自伝が送られてきていた。パソコン壊れて全部消えてしまって、殆ど忘れてしまったけれど、イノシシに追いかけられていたのは覚えている。
神戸の夜景のきれいなところは、だいたい連れて行ってもらった。ある時、顔がちけぇ!と焦ったら「眉毛、めっちゃきれいに整えてんな!」と言われて終わった。
めちゃくちゃ叱られたし、私も悔しくてめちゃくちゃ怒ったり拗ねたり泣いたりした。でも見捨てないでいてくれた。と思う。

忘れていたことを少し思い出して、年賀状を読み返しながら、モヤモヤし始めた。
もうスマートフォンには連絡先は残っていない。
今更手紙で連絡するのもちょっと違う。
モヤモヤをこっちで解消するしか無いってことだ。
一人で解消するしかなくて、涙が溢れてきて、さみしくなった。

こんな書きっぷり、心配するしか無いじゃないか。
自分で書くことも出来ないほど、体調が悪いってことなんだろうか。
単に忙しいだけだと、年賀状を辞めるきっかけに使っただけだと。
どうか、そう言ってほしい。

返事はなくていいから、どうか、どうか元気でいてほしい。

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