暮らしのなかに仕事がある感覚。
podcastの公開のたびにnoteも書こうと決めたものの、最近急に公開のペースが上がって全然追いついていない。
仕事がいったん落ち着いて(気のせいかもしれないけど)今、気持ちに余裕があるタイミングで書いておこうと思う。
第5回は笹田君のこれからの城崎での暮らしの話と、生活と仕事を一致させたい、というような話。あとは30歳になるころには実現しているという、自分の店の話などだった。
僕はまだ城崎に一度も行ったことがなく、あえて行った事のない城崎についてあれこれ語っても面白いかもと思ったのだけど、この話のタイトルにもなった、今回は生活と仕事の関係についてちょっと書いてみようと思う。「ゆっくり歩こう」第5回の10分くらいからの話だ。
http://pilotlightcoffee.com/archives/743
障害のある人の生活の支援をしてる今の仕事で、仕事自体が暮らしに入っていくものだから、暮らしている感覚で働けている。オン・オフが少し緩くなっている、というニュアンスのことを僕はここで話したのだけど、ほかにも働いていて、「仕事の下に暮らしがある。」のではなく「(自分の)暮らしのなかに仕事がある。」と思える理由があった。
それは、「暮らしのために仕事を休む人が多い」ということ。
たとえば、奥さんの入院の付き添いのために仕事を休まないといけなくなったパートスタッフや、子どもがインフルエンザになって共働きの奥さんとどちらかが看病しないといけなくなって半休をとる男性スタッフなど。若い女性が多い職場なので、産休や育休をとるのも珍しくない。
僕も、去年祖母が危篤になったときには数日休ませてもらって、おかげで祖母が息をひきとる瞬間に立ち会うことができた。
もちろん職員自身が病気になったときもそうなのだけど、シフトの調整を行って、休む人の分を皆でフォローするということが僕の職場ではよく行われていて、フォローする側はその間少しハードになるけど、今度自分が休まないといけなくなったときには支えてもらえる。そんな風に、当たり前に支えあっていて、利用者さんだけでなく、職員たちの暮らしも、それなりに大事に考えられているのかもしれない。
一方で、部署によっては仕事がハード過ぎて平日あまりプライベートに時間をさけない人もいるから、改善の余地はまだまだあるのだけれど。
「暮らしのなかに仕事がある」というのが、都会でも田舎でも、どんな職種や職場でも当たり前になる日が、日本にも早く来ればいいと思う。