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腰の手術、やりました! 初老記者の挑戦記

 この腰の痛み、もう我慢できない――60歳の私は覚悟を決めました。30年を超える新聞記者時代のパソコン作業等で、腰に負担を掛けてきました。そして、高齢者の10人のうち1人がかかるともいわれる「脊柱管狭窄症(せきちゅうかんきょうさくしょう)」を患いました。

脊柱管という背骨の中にある神経の通り道が狭くなり、神経が圧迫される疾患です。整体師に通ったりしましたが、悪化するばかりです。新聞社を退社して挑戦・合格した行政書士の本格開業前に、思い切って手術をすることにしました。

その手術は、腰の神経の圧迫を取り除き、ネジを使って脊椎(せきつい)を固定するなど計6時間に及ぶものでした。入院は12日間。この体験談をまとめている退院後数日の時点でいうと、幸い、手術前にあった痛みはなくなっています。

ただ、最終的な評価はまだ早いのでしょう。あと数か月、コルセットを着用する必要もあります。それでも、私はやってよかったと考えています。

いま、ご自身の腰の疾患について、手術すべきか迷っている方も少なくないと思います。しかし、ネットで調べても関連情報は、そう多くはありません。

私は元記者ということもあり、書くことに苦痛は感じません。そこで、手術に至った経緯や、手術の実態・術後の経過などを記録として残そうと思い立ちました。

手術直後はメモも取れず、記憶に頼った部分がかなり多いのですが、腰の疾患に悩む方々の参考になるはずです。

この体験談の最後には、実際に入院してみて、「あって助かった物リスト」も付けました。これも参考になると思います。

なお、治療に尽くしてくれた方々に迷惑を掛けてはいけないので病院名や個人名は伏せることにしました。ご理解ください。

 


■    腰に時限爆弾

今思い返しても、どうしょうもない悪い姿勢でした。パソコンの前、猫背で顎を突き出すような姿勢を30年以上続けてしまいました。

私が朝日新聞社に入社した1987年、まだ鉛筆で原稿を書いていました。確かその年に職場にワープロが来ました。

時限爆弾の時計の針がその時から回り始めたのです。

当時、新人の私にブラインドタッチを習得する時間的余裕はなく、結局、今日に至ってもきません。そして、取材時間を除いても、一日10時間とか、パソコンの前に座ることが普通のことになりました。

実は、2021年5月の退社前から肩凝りや耳鳴りにも悩まされていたのですが、腰痛はまったくありませんでした。

ところが、会社を辞めて挑んだ2023年11月の行政書士試験の直後から、腰の背中側がすこしずつ痛み始めました。

自己採点で合格間違いなしと確信して、年末年始に、スキーやスキューバダイビングに挑戦。これにより痛みがひどくなった気がしました。

近くの整形外科や整体師に通い始めました。整形外科の医師に尋ねると、「スキーなどではなく、長年のデスクワークの悪い姿勢が原因だろう」。それでレントゲン撮影をもとに、腰の「脊柱管狭窄症」と診断されました。

「姿勢、悪すぎる」。妻からに再三の忠告も無視した結果でした。

年明け、行政書士試験の正式な合格通知が来ました。喜んだのもつかの間、痛みはお尻の下部から、両方の太ももの裏、ひざの裏、すねの裏に広がりました。

整形外科では、リハビリに加えブロック注射も試しましたが、症状は改善しません。次第に歩くことさえつらくなってきました。

そして、GW後の頃でした……。

 

■    激痛!つった両脚

痛い。激痛で声も出せない……。

朝起きた時に、両足がつったのです。しばらく、じっとして、つった状態が収まるのを待ちました。これが最悪の瞬間だったと思いますこの頃には、朝起きると脚の痛みでトイレまではっていくような日々となっていました。

また、この疾患によるものと思われるのですが、便秘もひどくなりました。

通っていた整形外科の医師に「もう我慢できません。手術を受けたいです、紹介状を書いてください」と懇願しました。

症状悪化とともに、手術についてネットで自分なりにいろいろ調べてみました。

内視鏡を使うことで傷口を小さくし、日帰り手術もできる「低侵襲」という術式があることも知りました。

費用は100数十万円。払えないわけではありませんが、最新手法に不安がありました。

一方、私は2021年、路上で転倒してしまい左足首を骨折し、その時に手術をしてもらった大学病院に信頼感をもっていました。自宅にも近いです。

こちらだと、国の「高額療養費制度」により、費用も安く済みます。

早々に、この大学病院での手術を受ける決意を固め、整形外科の医師に、この大学病院あての紹介状を書いてもらいました。

そして6月。大学病院を訪ね、整形外科の医師(後に私の手術の執刀も担当)の診察を受けました。

確か2回目の診察だったと思うのですが、その医師は、CTスキャン画像をもとに、「やはり手術しますかね?」と私に覚悟を促しました。

もう、私の心は決まっています。

「はい、よろしくお願いします」

 

■    いざ、入院。不安と期待

指定された7月16日午後。疾患による脚の痛みを感じながら大学病院に歩いて向かいます。折しも梅雨の終わりの大雨。びしょ濡れになって、たどり着きました。

この日は何組も入院する方がいるようで、1階でしばらく待ち、予約時間になってから妻とともに病室のある8階に上がり、入院の受付を済ませました。

手術への同意書など、必要書類を提出します。で、病室に荷物を置くと、すぐさま、入院患者と家族らが面会できるラウンジで麻酔科医から麻酔等の説明を受けました。

「術後、普通に座る分には痛くありませんよ」

その麻酔科医は、術後をあまり心配することはないと強調していました。

病院側は患者を安心させようと、楽観的な話をするのかもしれません。しかし、実際は術後数日間、それなりに痛いです。確かに退院前には普通に座っている分には痛みを感じなくなっていましたが……。

この後も大きなものはなかったのですが、そんな病院側との感覚のズレを時々、感じました。

入院の受付の話に戻すと、がっかりしたことがありました。私は手術後、なるべく早くパソコンを使いたいなどの理由(相部屋では利用禁止)から、高い差額を払わないといけないものの、個室を希望していました。

しかし、受付時に提示されたのは4床の部屋でした。「いま、あいにく空きがなくて」と病院側。実際に部屋に行ってみると、他の患者さんは、お爺さん一人だけでうるさくもなかったのですが、「個室が空いたら個室に移動を」との要望を病院に伝えておきました。

 手術は翌日です。この日は、病院で出た夕食を完食。後は、やることもなく、長いイヤホンを使いテレビをぼんやりと見ていました。こんな普通の行為が、手術後、少しでも早くできたらいいな、と、不安と期待の中で、早めの眠りに付きました。

 

■    手術にビビり目を閉じた

手術当日の17日。午前5時には目覚めました。気がかりなのは便秘です。手術後、ベッド上で大きい方となると厄介なことになるかも、と危惧しました。

なので、この日も早朝からトイレでイキんだのですが、出ません。もやもやした気分のなかで、病院指定の紙パンツに履き替え、迎えを待ちます。

 予定の午前8時半。ストレッチャーで仰向けに寝かされ手術室に運ばれました。前述のとおり、左足首の手術の経験がありますが、少々、ビビって目を閉じます。

手術室前だったか、女性の看護師から、氏名、生年月日、何の手術か、などを尋ねられ、答えました。で、全身麻酔に。看護師から、こう指示されました。

「大きく深呼吸して。いーち、にーい」。「さん」は覚えていません……。

    ◇

「手術、終わりました。いま、午後2時半です」

看護師の声で、眠りから覚めました。6時間近く経過したことになります。

手術室からICU(集中治療室)の小部屋に移動。起きて見渡すことができませんが、ICUはかなり広そうです。

「痛みは、最悪が10として、いま、どれぐらいですか?」

看護師から尋ねられました。コレ、退院までずっと聞かれる質問です。

この時は、「7、8ぐらいです」と答えました。極端な数字を答えたくない?日本人の多くは、その辺からスタートするのではないでしょうか。

夕方、執刀した医師がICUの私の部屋に来てくれ、こう説明してくれました。

「小森さんは筋肉があり、骨も太くて大変でした……付着?物が多くてかき出しましたが、ほかは予定通り。上の方で1ミリぐらい傷が付いたのですが、縫い合わせたので大丈夫です。あと一日二日、ベッドの上で、ごろんごろんしていてください」

手術の傷口の痛みがまだ強いです。時間が経つのがやけに遅く感じました。

 

■    寝るのは横向き

そしてICUで術後初の夜を迎えました。手術の傷口は背中の下の方(お尻の上)、真ん中です。そこには、排液チューブ(ドレーン)があてがわれています。

それで天井を見上げて寝る=体重をかけると手術の傷口が痛むということで、横を向いて寝ました。背中はクッションで支えてもらいます。

しばらく同じ向きでいると、しんどくなるので、向きを変えます。その時、呼び出しボタン(ナースコール)で看護師を呼び、クッションを取り外してもらい、私は、よこっらしょ、イテテテなどと言いつつ、向きを変えます。

しばらくすると、自分でクッションを外して向きを変えることができるようになります。そんな寝返りを繰り返しているうちに痛みも引き、「10のうち5」ぐらいになりました。

周囲の様子をうかがう余裕もできました。さすがICUです。看護師はみな忙しく働いています。しょっちゅう、呼び出し音やアラーム音が鳴り響いています。

「ここはICUですから、いろいろな音がします。我慢してくだいさい」。昼間のうちに看護師から言われていましたが、理由が分かりました。

「ガウウ。ガウウ」。ゾンビ映画のような声が聞こえてきました。たぶん、ご高齢の方でしょう。痛いのかなあ。大変だな、と思いました。

ICU「時代」で忘れてはいけない話が一つ。時刻がはっきりしないのですが、いきなり「おきれいにします」みたいなことを言われて、2人の女性看護師の手により、私はベッド上、真っ裸にされました。

で、肩からつま先まで、消毒液でしょうか温かい液体をかけられました。で、ササっと洗ってくれます。こちらは目をつむって上を向いて寝ているだけです。

さっぱりしたのはいいのですが……60歳にして、「まな板の上の鯉」の心境を味わいました。

 

■    ICUからの帰還

 手術翌日の18日。早朝、少々、熱っぽさを感じました。痛みの具合も「6か7」とやや悪化。看護師に「痛み止めの点滴を」をお願いします。ボーっとしつつ、頭のなかで、これまでの人生の思い出を振り返るといったことを繰り返します。

 痛み止めで症状も改善。朝食時、看護師に食べさせてもらった果物のゼリーがおいしかったのをお覚えています。水も飲ませてもらいました。

 そうこうしているうちに、ICUから、元の病室に移動。ベッドの上、ICUでの担当看護師たちに手を振りながら、「お世話になりました」と礼を言いました。

普通の病室に戻ったとはいえ、この時点では、ベッドの上、横を向いて寝るだけです。座ることはできません。

そうして、19日朝を迎えました。痛みは「5~4」程度になったでしょうか。

それでも、医師の指示に従い、この日は「ベッド上で起きてはならず」というフラットの状態を保たないといけません。

テレビを見たり、持ち込んだ本を読んだりすることもできるようになりましたが、時はなかなか過ぎません。

 確か、この日の午後。執刀に立ち会った別の医師が一人、様子を見にきました。で、こんなことを語っていました。

「癒着がひどかったです。それで……水の入った風船に針で穴をあけたように、ぴゅーと出ました。もちろん、大丈夫です」

具体的に何のことかを問う気力はなかったのですが、予想以上に大変な手術だったことを知りました。

 病院内のCTスキャンでの撮影もありました。執刀した医師もこのCT画像をもとに「手術はうまく行きましたね」と言ってくれました。

本当によかった、です。

 

ベッドわきに置かれた点滴

■ リハビリをスタートさせる

19日の昼前、要望していた個室に移動してもらいました。

相部屋との差額は高級ホテルの部屋代ぐらいしたので、お財布的にはかなりしんどかったです。

ベースの手術費用が「高額療養費制度」で、かなり賄われることになるので、できた選択でした。

そして午後。女性の理学療法士が来てくれて、コルセットをつけ、ベッドの上、久々、座ります。電動ベッドの上部を徐々に持ち上げ、その助けを借りて座ります。

おー、座れた!と、ちょっと感動です。

コルセットは入院前に採寸しておき、リハビリ開始直前に実物が届けられました。

この時、歩行補助機を使って立ち上がる訓練もしました。座るとき、立ち上がるとき、瞬間的に傷口が痛みますが、割とすんなりできました。

これに伴い、いわゆるエコノミークラス症候群を防ぐために付けていた、脚をもむ電動マッサージ機はとり外されました。

順調に回復している。そう自分でも実感しました。

ただ、同日午後、看護師がやってきて、「おしもを洗いますね」。

やむなくベッド上、寝そべり目を閉じます。私の下半身に温かい消毒液?をかけ、タオルでふき取り、おむつを取り替えてくれました。

夕方、整形外科の別の医師が訪ねてき、背中の排液チューブを取り除き、傷口を守る防水フィルムに交換してくれました。

しかし、お小水の管(尿道カテーテル)はまだ取れません。

何時だったか記憶が定かではないのですが、看護師が「明日午前、お小水の管を取りましょうね」と言ってくれた時には、もう無意識に「あー、うれしい」と声を上げました。

 

■    尿道カテーテルが取れた

20日朝、背中の傷口に若干の痛みを感じたので痛み止めの点滴をお願いすると、点滴ではなく、ロキソニンの錠剤1錠をもってきてくれました。

痛み止めの点滴だと、すぐに痛みがひいていく感覚があったので、錠剤にちょっとがっかりです。

何はともあれ、午前9時半過ぎ。尿道カテーテルを抜いてもらいました。ほっと一息です。

話はそれますが、前述のとおり、手術前、」私は便秘でした。

手術後、ベッド上で寝たまま排出するのは恥ずかしさがあったので、できるだけ力まないようにしていました。

そして、時間が不確かですが、20日のうちに、大きいほうをもよおし、トイレに駆け込みました。すでに歩行補助機で室内移動を許可されていました。

間に合いました!

用を足し、久々、男性用の普通のブリーフを着用します。で、ベッドに腰かけ、パジャマのズボンを引き上げます。お世話になった紙オムツはトイレの汚物入れに入れました。

ようやく一般世界に戻ってきた感じです。ただ、髪の毛を洗ってないので、べたついています。早くシャワーを浴びたいな、との思いが募ります。

午後3時すぎだったと思うのですが、リハビリの理学療法士(土曜日のため前日とは別の方)が来室。

リハビリのための専用ルームに行って30分ほど、両足の力の回復加減や歩き方をチェック。全般的に良好という見立てから、「室内は歩行補助機を使わずに歩いてOKということで医師に伝えますね」と。

一歩一歩、日常を取り戻しつつありました。

 

■   ようやくシャワー!

夕方、病室でシャワーの準備をしているときに妻が到着。室内の小さなシャワー室で、久々、体を洗い、洗髪もしました。背中は、傷口以外の部分を妻に洗ってもらいました。スッキリです。

ちなみに相部屋だと家族と面会できるはラウンジのみですが、個室なので妻も私の部屋に入ることができ、この後も介助を頼むことができました。

これは大助かりでした。例えば、この時点では、やはりエコノミークラス症候群を避けるために両足にストッキングをはいていたのですが、かなりきついので、妻にはかせてもらいました。自分ではくとなると相当苦労します。

 そして、この日の夕方だったと思うのですが、私から看護師に報告しました。

「カラダ的にはもう痛みはほとんどありません。0.5か、0。傷口に圧をかけると2ぐらい。上を向いて寝たり、座る・立ち上がったりする時だけ痛みます」。

 一方、術後、しばらく、のどが、いがらっぽいのが気になっていました。ゴホゴホと時々、咳が出るのです。

そこで、のど飴やのどスプレーを妻にもってきてもらっていました。

風邪?まさかコロナ?と心配しましたが、たんは出ないし、症状が悪化することもありません。

看護師に聞くと、「全身麻酔のため、チューブをのどに通します。それでのどを傷つけた可能性があります。でも、治るので、あまりご心配なく」とのこと。

合点が行きました。実際、のどの痛みは次第に消えていきました。

ちなみに、病院で出される食事は、以前の左足首骨折で入院した時も感じたのですが。あまりおいしくありません。薄味というのではなく、かなりしょっぱいです。

ある日の朝食

れで、ふりかけのようなものを自宅から持ち込んだのですが、さらに塩味を増すので、結局、あまり使わないで終わりました。

 

■    「週末に退院」と医師

21日。日曜日ということで通常の診察はないようで、院内も静かです。理学療法士も休みなので、私は本を読んだり、パソコンでメールをチェックしたりして、すごしました。

22日早朝。執刀してくれた整形外科の医師が「どうですか、小森さん」と病室に。こちらは立ち上がって、「おかげさまで大分、よくなりました」。

その挙動や顔色を見てでしょう、医師は「週末には退院できるかな」。嬉しい告知でした。

 この日の午後、理学療法士が来室。病室のある8階を歩行補助機なしで、姿勢・歩き方に気を使いつつ、何周も回りました。理学療法士は「もう補助機もいらないですね。ご自身で、じゃんじゃん歩いてください」。

 夕食後、自分一人でも5周ほど歩いたでしょうか。一周は約250歩。理学療法士によると一周150メートルだそうです。

一周する間に、それぞれの病室内の様子がすこしうかがえます。自分を含め、多くの患者が世話になっていることを知ります。

改めて病院スタッフに感謝しました。

 23日。朝から一人リハビリに励みます。身の回りのことでいえば、朝食後にひげそり、夕方に妻の力を借りてのシャワーがルーティーンになりました。

もっともナースステーションでは、看護師の呼び出し音が頻繁に流れています。すぐさま看護師が「どうしましたかー」と患者のところに駆けつけていました。非日常が、そこにありました。

24日午前7時半ごろ。執刀医師が来室。

「傷口の状況もいいですね。土曜日か日曜日の退院としましょう」とのこと。

退院まで、いよいよカウントダウンとなりました。

 

■    ついに退院、帰宅

 25日。大きな変化はもうありません。朝の血圧や体温のチェック時に、看護師はストッキングを指さして、「先生からもう取っていいとのこと」。早速、ぬぎました。

 26日も前日の繰り返しです。ただ、翌日の退院に備え、荷物整理を始めました。

午後2時ごろ、執刀した医師が来室、傷口の防水フィルムをはがし、透明の薄いテープに取り替えてくれました。


手術の傷口

「ここいらへん、ご自宅でのお風呂の時、軽くもみ洗いはOKです」と医師。

そして、「回復が早いので驚いています」とも。

「では、あとは外来で待っていますね」と言って、立ち去りました(退院の際、8月中旬で外来の予約を入れてもらいました)。

心から御礼です。

この後、相方に撮ってもらったスマホの写真で、背中の数センチに及ぶ3本の手術の傷痕を確認。まだ、ちょっと生々しかったです。

 27日。ついに退院の日。荷物をとりめとめている時、病院の事務の方が来室、手術・入院費の請求書を渡されました。また、看護師が退院後1週間の飲み薬をもってきてくれました。

忘れ物がないか室内をチェックし、部屋を出ます。1階の自動会計機で、クレジットカードによる支払いを済ませ、病院を後にします。

外を歩いてみて、改めて気づきました。両方の脚の裏側にあった痛みはなくなっていました。

問題は、手術の傷口の痛みです。術前の脊柱管狭窄症の痛みとまだ判別できません。元の痛みがなくなっていることを願うばかりです。

いつの間にか梅雨が明けていました。

炎天下。自宅まで15分。完治の日を夢見つつ、歩きました。

 

■    役立つ!「あって良かった物」リスト

最後に、実際の手術・入院を踏まえた「あって助かったモノ」リストです。腰の疾患を持つ方々に向けたものです。

病院から常識的に指示される肌着やシャンプーといった類は記しません。また、私の入院先だと一日数百円で、甚平やタオル、使い捨て歯ブラシなどが使えました。それらも除きます。

〇 マジックハンド : 入院前にアマゾンで短いモノ1本、中ぐらいのモノ1本を購入。落としたものを拾い上げるとか室内灯のスイッチ操作に役立ちました。退院後も活躍しました。ただ、中ぐらいのモノは届いた日に壊れ、買い換えました。

〇 スニーカー : 転倒防止のためスリッパではなく運動靴タイプを用意するようにと病院から事前に指示されました。履きやすい、ゆるゆるの靴を持参しましたが、リハビリには不向きでした。それで妻に日々、履いていたスニーカーをもってきてもらいました。それを履くために長めの靴ベラもあったほうがいいです。

〇 のど飴・のどスプレー : 術後ののどの痛みは予想できませんでした。やはり妻にのど飴とのどスプレーを持ってきてもらい、使っているうちに改善しました。

〇 冷却シート : 私は術後2~3日、37度代の熱が続きました。看護師に熱っぽい、と訴えると、病院内に「冷えピタ」などの冷却シートがないので、わざわざ氷枕をつくってくれました。看護師にこれを何度も頼むのは申しわけなく、妻に冷却シートを数枚、持ってきてもらいました。

〇 アイマスク : 夏場だったのでカーテンをしても午前5時にはかなり明るいです。持参したアイマスクを使い、しっかり眠ることができました。

〇 ベッドガード: 退院後の家で使うため、転落防止のためのベッドガードをアマゾンで購入しました。同じく家で使うものとして、風呂に置く、滑りにくい小さなイスや、トイレ用のてすりもアマゾンで購入しました。

 

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