英語学習が習慣化しない人の言い訳(1)私と英語、これまで
私はなぜ英語をやりたいのだろう
英語学習の目的
もとい、やりたいのにやれないのだろう。私と英語の遍歴を少しずつ振り返り整理しておく。noteでのアウトプットも習慣化の目標なので、文章の出来具合は気にせず公開していくため、読みづらいところも多々あるし、修正、編集が入る可能性もあることをご容赦ください。
そもそも、「若いころのコンプレックスを解消したい」という曖昧な目標設定だった。コンプレックスだけでなく、おかしなプライドも。
邪魔をするプライド 増幅するコンプレックス
私は高校までは英語が「中途半端に」得意だった。といっても、大学受験英語ね。文法問題、長文読解、そのための単語を覚えたり、英作文したりも好きだった。若いということと勉強が本分という学生の特権もある。勉強だけしていればよいのだから、今思えば楽だったのだ。当時難関と言われていた短大の英語学科も合格した。(←話せば長いけれどバブルが弾ける前は、青学、上智など短大もありレベルが高かった)
しかし進学した四大ではお恥ずかしながら遊び惚けてしまい、その後も英語と全く関係ない職種についたのもあって、英語からはすっかり離れていた。気づけば50。子どもたちに英語を教えるどころか中学英語さえ忘却の彼方。あれだけ頑張って勉強したのに。私だって過去は得意だったのに。そんなバカバカしいプライドは、コンプレックスと常に同居していて。勉強をしていないのに、「私だってやればできるはず」の思いがどこか消えないのだろう。
スタディサプリしながら、TOEICを受けてみる
何度も英語をやり直そうと思い、何度も挫折。この挫折っぷりも少しずつ書いていくと思うが、ざっくり言うとスタサプで1か月ほどいい加減に勉強し50過ぎて初受験したTOEICは、300点台後半だった。その後、ちょっと時間をかけてスタサプをした結果、100点アップした。よし、これから500点以上目指して頑張るぞ、となるはずのところが失速。スタサプも何も身が入らず、点数は460周辺で停滞。昨年の1月に、点数が甘く出ると言われるTOEIC/IP試験で500点。それから受験を中断してしまった。
スタサプを挫折した人なんてネット上ではあまり見かけないので、相当根性なしだと思う。関先生の動画授業は大好きだった。真・英文法大全は、kindleと紙書籍、両方購入したけれど、積読です。ごめんなさい。
あまり長い記事にしたくないので今日はこのへんでまとめていこう。
私にとって、英語学習は過去の自分との対峙
今後英語を仕事で直接使うわけでもない、外国の方との交流にあこがれはあるが、実際人見知り&怖がりなところがあるので海外旅行とも無縁の生活である。変な話、未来の自分のためではなく、過去の自分、これまでの生き方を何とか肯定したくて英語を克服したいだけなのだ。だから「今」が忙しいと優先順位が下がり、当然継続もできず、結果も出ないから、人と比べて「自分はだめだ」と「今」の自分は自己肯定感がだだ下がりである。
ちなみに、また明日から書いていくつもりの「通信制大学」での勉強も、これと似た状況になっている。
これからの英語学習をどうするか
振り返りをふまえて、「そんな自己肯定感下げるくらいなら、やめちゃえば?」という👿アクの声が聞こえないわけではない。「今」の自分にとって大切なものを見つめるべきだよね。頭では分かっている。能力がないこともとっくに認めている。ただ、今結論を出すのではなく、もう少し悪あがきをしていたい。
優先順位が下がっても仕方がないんだということも、認めてやりたい。
結局、長い長い、言い訳なのである。