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好きへの道のり

拗らせてるね〜。
この前のnoteで書いたようなことをスタエフで配信して、初見さん(正確には二度目ましてだが、ちゃんと絡むのは初めてだったので初見さんとする。)と話して、陥ってしまった「好きとは?」問題。

初見さんと、「好き」という事柄について語った訳ではないが、一通り自分の現状を話し、初見さんの直近のマッチングアプリ体験談を聞き、思ってしまった。
私にとって、「好き」ってなんぞや?


なんぞやに入る前に、少し初見さんについて物申したい。
初見さんから私は真面目だと言われた。考えすぎとも言われた。それは自覚がある。
私は真面目で、考えすぎで、答えを求めたがる。
それが、私の長所であり短所であることは、もうすでに知っている。
初見のあなたに言われたところで新しい発見などないし、それを言い当てられたところで、私の心はあなたに靡かない。
残念ながら、私の話し相手に立候補されても、あなたとの会話は面白くても、心地がいいものではなかった。
配信している最中におすすめの映画を聞かれ答えたら、それをすぐさま音声ありで再生するか?
こっちは配信して、その音声拾ってるからな?配慮に欠けるとは思わんのか?
そんな相手と仲良くなりたいと思うと思いますか?
私はなりません。フォローありがとうございました!おしまい!


よし、もやもやしていたことを吐き出してスッキリしたので、なんぞやに突入する。
おそらく、今回のなんぞやは「好き」そのものの状態ではなく、「どう好きになるのか」であろう。
今、私は「好きな人」を探しに出会いを求めている。
が、「好き」になれる人がいないという状況にフラストレーションを感じている。
そもそも私は簡単に人を「好き」にはなれない。
共有した時間とかそういった類の話ではなく、自分の中の「好き」のはじまりが問題なんだろう。

まず、好きになるには、自分が素でいられるのかということが私にとって重要になってくる。
相手が受け止めてくれるか受け止めてくれないかはさておき、自分が自分らしくいられるかということが重要なのだ。
そもそも、自分を見せられない、猫を被った状態で接している人のことを私は信頼しきれていない。
そして、信頼していない人のことを好きなることは絶対にない。

こう書いていると、時間をかけて関係を築いていくしかないのではないかと思われるだろうが、決してそんなことはない。
元彼は出会ってから2、3日目に、私とエレベーターを待っている時につぶやいた一言から興味を持ち始めたのがきっかけだったし、れんさんに関して言えば、初めましての時に私が自分の猫を被れなかった人だ。
2人とも時間は一切かかっていない(まあ、れんさんのことを「好き」ということに気がつくまで時間はかかっているが…)。
何がきっかけかは私もわからないが、この人になら素を見せられると思える出来事、あるいは素で接するしかない状態になってからが本番なのだろう。

なんにしろ、自分が「この人は大丈夫な人だ」ということを認識しないければ、その土俵に立てないということか。
こればっかりは意識でどうにかなる問題でもないか。
だって、ある種危機管理的な部分のセンサーが発揮されているってことで、そのセンサーを鈍くするわけにはいかないからね。

つまり、なんだ?
出会いの母数を増やして、人と絡みまくれが私に必要なことなの…??
やってみるかー!

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