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善とは 〜魚屋での出来ごと

高台にある幼稚園へは朝夕なるべく歩いて行ったが、雨が降ると車でわが子を送った。道中、細い道があり、大幅に減速しなければ車がすれ違うのは難しい。

ある雨の朝、この細道を下って来た車が、上る私の車に気づきながら、停止線で止まらず、こちらに突っ込んできた。やっとの思いですれ違っても、運転手はお詫びの意思表示に片手を挙げることさえしない。「あの車ダメだねー」とわが子が小さな声でつぶやいた。天気がよいと人は機嫌が良いからか、人や車に道を譲る心の余裕が生まれるが、雨が降るととたんに運転マナーが悪くなるような気がする。わが子に、「『一日一善』という言葉があってね。どんな小さなことでもいいから、一日に一回は良いことをしなさいという意味なの。良いことをすると気分がいいわね。良いことをすると巡り巡って自分にも良いことがあると言うけど、今日はさっきから何人も横断歩道で待っている歩行者に道を譲っているから、きっとママにも良いことあるかしらね」と私は言った。

その日の夕方、魚屋に行くと、珍しく店内は人で混み合っていた。フランスでは、日本のようにパックで売っている切り身の魚は大型スーパーくらいで、魚屋や肉屋などの専門店では、必ず人を介さないと欲しい品が手に入らない。ずいぶん待つことになりそうだと思いながら、入り口で受け取った番号札を握りしめ、魚の目を見て鮮度を確認しながら、どれを買おうかと吟味していた。

用が済み、レジの列に並んでいると、レジ横の、瓶詰めされたSoupe de poisson(魚介のスープ)が目に入った。これは南仏の名物料理だ。様々な種類の魚をじっくり煮込んだスープに、creton(クルトン)と呼ばれる硬いパンを浸して食べる。棚にクルトンが2種類あったので、すぐ後ろに並んでいた年配の男性に尋ねてみた。「そうね、こっちの小さいクルトンの方がいいんじゃないかな。ほら、ニンニク味って書いてあるでしょ。魚介スープはニンニクの効いたクルトンじゃなきゃだめだよ」と教えてくれた。

魚介スープの瓶とクルトンの袋を手に、私は男性に礼を言い、前を向いた。レジの列はまだ進まない。よく見ると、高齢の、小柄な品の良い女性がレジで手間取っている。前にいたシルバーグレーヘアーの大柄な男性が、その女性の様子を眺めている。女性はようやく支払いを終え、レジの店員や後ろに並ぶ私たちに「待たせちゃってごめんなさいね」と声をかけ、腰をかがめ、床に置いた二つの重そうな買い物袋を持ち上げようとした。しかし、すぐに両手を袋から離してしまった。即座に「僕が車まで運びましょうか」とシルバーグレーの男性が言った。「まあ、どうもありがとう。歳なんて取るもんじゃないわね」と女性はつぶやいた。「そんなことないですよ。誰だって歳を取るのですから」と男性は言い、さっさと自分の支払いを済ませ、女性の買い物袋と自分の分を持つと、ゆっくりと二人で店を出て行った。私が駐車場に行くと、まだ二人は立ち話をしている。男性がトランクを閉めるのを手伝っていた。

人の善意を目の当たりにして、良いことをすれば自分に返ってくるなどと言っていた自分を恥じた。この男性は一日一善など考えもせず、自然に身体を動かしている。子供が小さい頃、ベビーカーをバスから降ろそうとしていたら、15歳くらいの、一見、他人にまったく無関心そうなパーカー姿の青年が、私の様子を見て、何も言わずにバスを降り、下でベビーカーを受け止めるように下ろしてくれたことを思い出した。この青年のさりげない行動が、育児で必死だった当時の自分の心を潤したのを、今でも覚えている。

困っている人を前にして、考えるより先に、思わず身体が動いていて、気づいたら誰かを助けているということ。これを「利他」というのかなと思った。当地ではこういう光景をしばしば目にする。この美しい情景を、この文章に閉じ込めておきたい。

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