何事もゆとりが大事
私が生まれたのは90年台の初め。世間では「ゆとり世代」と呼ばれた世代だ。別に自分が何かしたわけでもないのに、上の人から知ったように「ゆとりだねぇ〜。」とか言われては、知ったような口を聞くなと内心思いながら過ごした20代はあっという間に過ぎ去り、30代に両足を突っ込み、世間的にはおじさんと呼ばれても仕方ない今日この頃。
今だから言いたい、「何事もゆとりが大事」だよと。
そもそも「ゆとり」という言葉自体悪い言葉でなないはずだ。ネット辞書で調べてみると『物事に余裕があること。窮屈ではないこと。』とある。それをマスメディアが「ゆとり世代が〜」吹聴し、テレビしか見ないおじさん、おばさんがバカの一つ覚えみたく社会人デビューを果たした若人がちょっとヘマしただけで「これだからゆとりは〜。」とかいう傍迷惑な状況を作り出してしまった。そんなおじさん、おばさんに問いたい。あなたも社会人の駆け出し時代にはよくヘマしたんじゃないんですか?と。
ちょっと脱線してしまったが、ゆとりという意味が悪い意味も持ち出したのはここ10年、20年くらいのことだと思われる。(言われてきた身としての体感として)
でも、ゆとりってとても大事だし、良い言葉だと思う。今となってはゆとり世代と言われても「で、何か?」という心境だ。
生活ひとつ取ってもゆとりが生活を豊かにするように思う。仕事もゆとりを持ってしたい(仕事に価値を見出す必要も感じない)し、写真だって最近はそんな気分だ。
ちょっと前に書いた記事とも被るかもしれないが、ゆとりを持った撮影体験がしたいし、写真だってゆとりのある写真が撮りたい。失敗なんてない、撮った全てが思い出で、価値のある写真が理想だと思うし、他の趣味でも言えるけど、本来そのくらいの気持ちでやるべきなのだろう。肩の力んでるのを緩めて、その時の街の湿度、音、景色が思い返せるような写真。ブレてても多少露出がおかしくてもそれも味。
全てのことに対してせかせかせず、ゆっくり「ゆとり」を持って対面したいと思った。