古文書は逆マルハラ
昨今、句読点のない文章が好まれる風潮にあるようです。
文末に句点「。」があると威圧感を感じるということから、この「。」が使われたいわゆる普通の文章を、マルハラスメント、通常「マルハラ」といいます。
一般的なセクハラとかパワハラといった、度が過ぎれば行きつく先は訴訟というような重篤なものではありませんが、それらをもじって軽い意味で使われているようです。
なぜこれが流行してるのかというと、ひとつにはSNSなどでの文字入力の際、制限のある場合が多く、伝えたいことをその制約の中で行うには何を削ればよいかと考えると、どうしても句読点になってしまうのではないか、という説があります。
また別の説では、読み手に与える印象が「。(句点)」「!(感嘆符)」「😀(絵文字)」を比較した場合、「。(句点)」は硬い印象を与え、反対に「😀(絵文字)」だと軽くフレンドリーな印象を与えるというのものです。ですから、相手によって使い分けたり、不特定多数への配信の場合は、その中間をとって「!(感嘆符)」が使われる場合もあります。
こうした「。」なしでも済むものはたいてい短文の場合ですから、ここで書くような長文では、やはり正しいマナーが必要でしょう。
ここで面白いことに気づいたのですが、古文書というのは実は句読点がないのです。
これを解読しますと次のようになります。
「くず引鯛ハさしミに作るやうにしてくずのこによくくるみさつとゆをくゞらせ水につけつくりなり」
「うどん半へいハすりミに山のいもをおろしてまたよくすりまぜめしのとりゆをまぜて又よくませしほすこし加へ湯煮しうんどんのごとくきるなり但しかたきあくされどやハらすぎれバきりめミだるゝいかにもふつくりとしてとうふの少しかたきほどにすべし」
句読点が皆無の文章はこうなります。古文書はこれが標準なのです。読みにくいですよね~。なんのこっちゃわかりませんよね。これを訳して句読点を入れると次のようになります。
「葛引鯛は刺身に作るようにして、葛の粉によく包み、サッと湯をくぐらせ水につけ作るなり。」
「うどん半平はすりみに山のイモをおろして、またよく摺り混ぜ、飯のとり柚を混ぜて又よく混ぜ、塩少し加え湯煮しうどんのごとく切るなり。但し、硬きは悪くされど柔らすぎれば切り目乱るる。いかにもふっくりとして豆腐の少し硬きほどにすべし。」
句読点の必要性がお分かりいただけるのではないでしょうか。さらに平仮名ばかりでも読みにくく、漢字が混ざることでとても読みやすくなりますね。
時代を経て、句読点がなくて不便だから入れるようになったのに、ここにきてまた省かれる・・・。
句読点の歴史、そしてその役割をぜひ理解して、なるべく省かないように使っていってください・・・。
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