扇(鶴沢探春、原在中、丸山応端 作)
今回紹介するのは天明8年(1788)と文政10年(1827)に宮中から頂戴されたとされる扇です。当時活躍した絵師の絵が描かれています。
同封物
天明8年(1788)に正親町前大納言(正親町公明)より通達を受けています。この年は天明の大火によって京都の大部分は焼けてしまいました。その際、篠山城主の青山忠裕は御所の警衛にあたっています。それに対して労をねぎらう書状と扇子を頂戴しています。
御造営中勤番大儀
思召承仍拝領物被
仰付候
ご造営中勤番大儀思し召しうけたまわる
よって拝領物仰せ付けられ候う
同封された書状から鶴沢探春と円山応端の描いた絵であることが分かります。
文政十丁亥歳三月十八日
御昇進二付京都江別段
御使被遊御勤同年壬六月五日
蹴鞠御拝見二付御参内被仰於
禁中 御拝領
ご昇進に付き、京都へ別段お使いお勤めあそばされ、同年六月五日
蹴鞠ご拝見 ご参内に付き仰せられ 禁中にてご拝領
こちらは文政10年(1827)に頂戴した夏扇の箱の裏に経緯の記載があります。青山忠裕はこの年に幕府から1万石の加増を受けています。これに対して宮中から夏扇を頂戴したと思われます。
同封された書状から鶴沢探春と原在中の描いた絵であることが分かります。
鶴沢探春
探春は狩野派の鶴澤家当主として活躍した絵師のようです。
若竹の絵と思われます。反対側も同じような絵ですが、損傷が激しいので写真を撮っていませんでした。
原在中
原在中は元々、絵師の家系ではありませんが、数多くの作品を残し、原派として子も絵師の家系となっていきます。
菖蒲の絵でしょうか。扇の竹部分が曲がっていますが綺麗な紺色(?)です。
水𪃭が何の鳥か知りませんが鴨でしょうか。
円山応端
円山応端は円山応挙の息子です。円山派の2代目として応挙ほどの知名度はありませんが、内裏造営に携わり障壁画など描いています。