私はここに、存在してもいい
仕事に熱中しすぎて婚期を逃し、30歳から5年の婚活を経て、2018年に結婚した株式会社女子マネ代表の中里です。今は、オンラインサロンやコミュニティ運営のアドバイスをしたり本を書いたり、作りたい人向けの講座を運営しています。
2020年2月に生まれた娘(1歳)をこれでもか!と可愛がりながら育てています。今38歳です。
出産するまでは1日14時間くらい働いていた私めですが、生まれてから写真や動画が1万以上になり、ストレージの料金を結構払っている親バカです。
とはいえ、子供が生まれる前までは(妊娠中も)寝落ちするまで好きなだけ仕事をしたり、夜にイベントに参加したり、フラッと1人で旅に出たり、仲間と泊まりで合宿に行ったりしていました。
しかし産後、それが全くと行っていいほどなくなりました。
残念かというと、そうでもない。
コロナがあったというのもあるけど、家族を置いてまで、夜遅くに出掛けて家族に無理を強いてまで関係を持ちたい人もいない。
オンラインでは毎夜、楽しそうなイベントがあるのですが、基本全て動画で録画をみるか(購入しても9割がた見てない)、マストじゃないと思えるものは、全部スルーして見過ごしてきました。
家族第一で、私は十分に幸せだと思っていた。でも…
本っ当に、子供を産む前は、こんな心境の変化があるなんて思ってもいなかったんです。私にとってソーシャルな活動というのは、今の自分を作ってくれた大切な活動だったし、結婚して夫がいても平日夜に週に2、3日はでかいえていて、帰りがも24時近く。それほど大切な活動として私の中心でした。
こちらは、妊娠したあとも名古屋に日帰りでセミナー講師をしていた写真↓↓
でもそれが子供を産んで一変。価値観が変わってしまいました。
夜は365日、家族のじかん!
それで十分に幸せでした。
ただ、産むまではこのような気持ちになるとは思っていなかったので、産前から継続してきた学びの場がたくさんありました。産んだ直後から、オンラインで昼夜のZOOM勉強会に参加をしながら過ごしてきました。生後半年くらいまでは、よく寝てくれたので、本当に仕事も普通にできました。
ただ、娘も成長してきて、だんだん娘が「いつ起きるのかわからない」という状況と、それをいちいち冒頭で謝りながら説明する手間が負担になっていました。1つ1つは些細なことなんだけど、「チリも積もれば」で、謝るほどに、心には重〜く積もってゆきました。
さらにハイハイをお覚えた頃には、娘がそこかしこを動き回っている。そういう状況がジワジワと私の集中力を削ぎ、せっかく参加しているのに、場に集中できないフラストレーションと、母親として娘の相手をしてやりたいのに、、、というダブルのストレスが溜まってゆきました。
夫も在宅勤務が多かったのですが、娘を夫に面倒を見てもらうのも申し訳ない。。。それでも学びたいことや参加したいイベントはある。学びの機会を見送って参加しないのも嫌だ、参加をするにしても家族に負担をかけている、どちらにも摩擦を感じながら1年を過ごしました。
追い討ちとなった、娘の体調不良と後追い
2021年3月、騙し騙しの学びと子育ての板挟みだった私が、「もう嫌だ!」とストレスが爆発した出来事がありました。ちょうど1歳になった娘が、保育園から風邪をもらってきました。それまで2回風邪はひきましたが、2、3日で回復していたんです。
ただ今回は運悪く、夫と私も風邪をひき、さらに治りかけていた娘に風邪をうつしてしまい、さらに突発性発疹になり・・・1週間ほど娘が泣き続けるという試練がありました。
なんやかんやで1ヶ月近く、娘は夜に寝ないし、在宅保育で起きている時間も泣き叫んだりしていました。もう学びどころか、そもそも仕事ができない。。。ZOOMだとしてもミーティングどころではない、という状況でした。
さらに、発疹がなおってから後追いが始まり、娘のお世話が夫では全く対応が追いつかなくなりました。いや正確には、夫と娘だけなら娘も諦めて?(笑)大人しく遊ぶのですが、私が見えるやいなや、甘えて泣き出す始末。
夫の育児放棄(笑)
その結果、夫は私がいる時には娘の面倒をみることを放棄し、
「お母さんを求めてるんだよ」
と私が週末や夜のほとんど娘の相手をするようになりました。
そんな折、ちょうど娘の体調が悪かった時に、ZOOMの勉強会に参加することになったのですが、講座の後半あたりで娘が大泣きでグズリ初めて、途中で参加していられなくなりました。
主宰の方には申し訳なかったんだけど、「中里さーん」と呼びかけられたりしても反応できないし、メールで確認されたりしてもすぐ見られるはずもなく、、、ぐったり疲れた時に、何度もメッセージをもらっていたスマホを夕暮れどきに見た時には
心の底から
「あぁ、迷惑かけてるなぁ」
「もう子供がいる中でのZOOMでのセミナー参加は絶対しない」
「状況を察してくれよ」
と、最後のは全く関係ない先方に対する怒りまで湧いてきたものです。
物心ついてから、そういう「ごめんなさい」を連呼するような立場になったことや状況があまりなくて(全力で避けてきたので)、そうした状況になったことで、すっかり「自分を弱者認定」するようになっていきました。
そういえば、産後に自分を弱い立場、守ってもらうべき立場だと思っていたことをnoteに書いたのですが、やはり「弱い」と自分を思ってしまうと、自分で何かをやろうとか、他社に働きかけようという気持ちを失ってしまうんですね。
配慮してもらうのが当たり前になって、ちょっと傲慢になってるな、とも気が付いているので、ますます私は内にこもりたい気持ちになりました。やさぐれていました。
魔の日曜19時スタート。家族が大事だけど、どうしても学びたい
そんな状況だったのですが、この4月から新たに学びたいことがあったので、懲りずに申込みをしました。それは、日曜日の夜にオンラインでシェアや対話をたくさんするZOOMでした。
いつも子供が側らにいる中で、ZOOMに参加すると「子供が小さいので、抜けることがあるかもしれません」という言い訳をしながらMTGに参加してきました。
まぁそれが(言い方は適切じゃないかもしれないのですが)不快なんです。
・日曜日の家族の時間に、夫に任せて申し訳ない
・セミナー参加者とのシェア会に集中できなくて申し訳ない
・子供を気にしながらの参加では私もつまらない
こんな思いがあって、半年前もその日曜夜の時間帯の講座に申し込んだものの、リアルタイムの出席率は5%くらいでした。ウン十万払っているのに。
その流れがあった上での、再び日曜の19時からのセミナーですよ。笑
夫も在宅で夕飯時で、いつもならご飯・風呂と続く時間帯で一番忙しい時間帯なので、タイミング的には最悪なんだけど、やっぱりその学びが必要だから、葛藤を振り切って参加しました。
日曜の家族のゴールデンタイムを捨てて、講座に参加
それで、半分投げやりな悲しい気持ちになりながら参加しました。それが結果的に、とても集中できて、参加ができてすごく良かったと思える時間になったんです。思いがけず。
それがすごく嬉しくて、この記事を書いています。
うーん、前置きが長い。笑
その時にね、あぁ、私って「存在してていいんだ」と思ったんですよ。
えっ?
つまり「私は存在してはいけないんだ」と思っていたということ??
えっ!そんなことをこの私が思うの?!というくらい、普段の発信をみている人は想像もつかないと思うんですが、自分もびっくりしたこの心境とそれを抜け出すまで(まだ途上かもしれないけど)を紹介します。
産後の私にあった罪悪感と葛藤
まず、私の心にあった罪悪感や葛藤はなんだったのかというと、
・夫に面倒見させて申し訳ない
・私も集中できないから、いいアウトプットができなくて辛い
・参加している場で効力感を感じられないからつまらない
こういうものでした。
それが、一つ一つ、氷塊したと感じたので、それを残しておきたくて書いてみます。
夫に面倒を見てもらうのが申し訳ない
保育園には預けるのに(保育園に面倒見てもらうのに)、夫に面倒を見てもらうのを申し訳ないと、遠慮する気持ちがありました。
ここ、どうしてか深堀できないのですが、たぶん、私は「子供の面倒をきちんとみるお母さん」でありたいと思っていたのだと思います。
日曜の夜に、子供を放ったらかすなんて・・・という。
それが、今回、もう夫がそばにいても、絶対に私のところにやってくるから、「私が面倒見ながら講座に参加するよ!」と腹が決まりました。
いいアウトプットができなくて、辛い
参加者どうしのシェアの時に、良いアウトプットができないことが”辛い”と考えているようでした。
つまり「良いアウトプット」を「しなくてはならない」と自分に課していたのでした。これ、今に始まったことじゃないから、物心ついた時からずっとだったと思う。
一体、良いアウトプットってなんでしょうね?
−参加者に気付きが与えられる
−講師の意図をしっかり汲み取っている
−褒められるような回答
こうしたものを、会社でも、独立してからのSNSの投稿や、あらゆるところでの発信で「しなければ」と気を張っていたように思います。
効力感を感じられなくて辛い
効力感って、なんでしょうか。
じぶんで書いてて、効力感って何よ(笑)というツッコミが出てくるんだけど、「評価されるような、おおーさすが」と言われるようなアウトプットをじぶんが発信することです。
わー、書いててめっちゃしょぼい。恥ずかしい。
で、ここまで書いていて、昨日の講師のファシリテーションや話から気がついたのですが、評価されるようなものを、「私個人」が「単独で」「私自身の発信で作らなければならないのか」という疑問が湧きました。
評価されるようなものを、「私個人」が「単独で」「私自身のオリジナル発信で作らなければならない」
これが、私がこれまで所属してきた組織や、自費で参加してきたあらゆる場で感じてきたことでした。これを目標として、これができた時だけ自分にOKを出すというマイルールがあり、いつもそれを課されている私の心には、緊張が走っていました。
脳の仕組みの本や学びの場にも行ってきて、緊張した状態は、適度なものの場合や良いが、大体がパフォーマンスには悪影響を及ぼすのです。詳しくはまた後日追記しますが、「闘うか、逃げるか」という反応を引き起こし、正常な(適切な)判断ができなるのです。
もう、昨日は娘がギャン泣きしたりぐずったりする中でも発表をして、それなりに場に集中して参加をしていたのですが、そのきっかけになったのが、子供をあやしながら途切れ途切れに発表した内容を聞き取って「それって、こういう感じのことですかね?」と要約して聞き返しえてくれた人がいた瞬間でした。
その時のアウトプットには、自信もなくて、正直、自分でも何をいったのか覚えていないくらい娘が大声で泣き唸っていたのですが、「あ、聞いてもらえた」という嬉しい感情が一気にわいて、「ここに存在していい」という許可をもらえたような気がして、私は冷静になり、集中力が高まったのでした。
前提を問う。
その時、私は自分がいかに緊張していたかに気がついたのです。
「なんとかひとりで、価値を発揮するアウトプットを生み出さねばならない」
「娘が近くにいて集中できない環境で、こうしたアウトプットをするのはかなり難しいから、参加する資格がない」
そう思っていたことに。
・・・えっと、本当に?何言ってるの?笑
もし他の人がそういっていたら、多分ちょっと笑って突っ込めるんだけど、自分だとそれに気づくのすら難しかった。
そこで、私はその講師が別のタイミングで言っていたある言葉を思い出すのです。
「私とあなた」という分離ではなく「私たち」
「私とあなた」という分離した前提で成果を自分が生み出したと感じたいための行動ではなく、「私たち」という前提で参加をすること。
それによって、「私ひとりの力で、成果を出さなければ。価値を発揮しなければ!!!!」という緊張を解き、リラックスしてその場に存在できるのではないか、という可能性を感じることができたのでした。
あれ・・・そう思うと、私ってめちゃくちゃ緊張したストレス状態で生きてきたかも。
38年の人生を振り返って、そう気がついた時に、ふっとその手を緩めることができました。
まるで、強い歯の食いしばりに気づいて、歯茎の力をふっと抜くように(わかりづらいかな)。
私の話を聞いてくれた青年は、何を意識していたのか
きっと、私の話に相槌をうち、「こういうことですかね?」と聞き返してくれた青年は、「自分の発信で価値を出さなければ」という分離の思考ではなく、「私たち」という思考で、場として良い学びが醸成されるよう意識して振る舞っていたのだと思う。
たった十数秒の出来事だったけど、私の緊張がほぐれた瞬間、自分に過剰な力が入っていたことに、気がついたのでした。
それは、「これが普通」と思っていた腰の痛みや体の不調が、凄腕の整体師に出会って、全て氷解して「まるで羽がはえたような体だ!」と思った感動に近かった。
いい。
この状態、この心のポジションがとても楽だ。
この記事は、完全にこのBefore・Afterを自分のために記録するべく書いているものです。正直、こんな葛藤を書き散らかして世界に発信するのはダサいし恥ずかしいと思う。
私に生徒として教えてもらっている人も多いので、こういうことを開示されても生徒さんはどう思うだろう、と思わなくもない。
でも、少しでもこれが「価値を発揮しなければ!」と緊張状態に常時接続の人や、謝ることに疲れて、社会参加が遠のきがちな子育て中のママさんに届いたらいいと思って書いてみる。
これまでと、これから。どうするのか
これまでの私は、緊張状態(パフォーマンスの低い状態)で、働く時間や顔を出す場所を増やすことで、なんとか自分を保ってきた。
それが、子供を産んだことで働ける時間が短くなり、細切れの短い時間✖️緊張状態をベースにした上で、じぶんの納得のいく、私の魂が喜ぶ創作を成し遂げるのは難しいと、やっと気がつきました。
こんな、世間を敵認定した状態で、世間の人々を喜ばせる、勇気づけるようなオリジナリティを発揮するということは、そもそもが矛盾を孕んでいるから無理ゲーなんだと、気が付きました。
今でも、自分がこの場に存在するために、あるいは、市場に存在していい、と思えるために、たくさんの自己投資をしながら、インスピレーションを受けとって行動してきた。
価値を発揮するために、自分では「もっと深めたら何かあるはずだ」と思っっているものを深堀する時間を取れないママ、過去の延長線上の言説で人の注目を集めたりした。
エネルギー不足や承認不足で、自己の価値を感じたくなって、新しい人とコミュニケーションを増やして、さらに忙しくして・・・という悪循環が続いていた。
いったん立ち止まろう
本当に、自分はどうしたいのか。
そう、私は今、新しい思考様式を自分で深めて、確立したいのだ。
いったん立ち止まろうと思っている。
ちょうど集大成となるコンテンツ(ワークブック)のプロトタイプが月末には出来上がり、発表できる日も近い。
さらに、本の執筆も進めているから、そこに集中して、新しい私に生まれかわろうと思う。
もちろん、既存の仕事は継続していくので、既にやりとりをしている人は安心して欲しいです。約束は守ります。笑
ということで、子育ての現場からは以上です。
今日も楽しみます。