見出し画像

子供を産んだことで出来た戸惑いとママ友について

元々自分一番な私なので、母には向かないと思っていた。そんな中、そんなこと気にしなくて大丈夫だよと友人に言われ、満更でも無い自分に驚く。

母になれば母性の塊になって、子供の幸せが自分の幸せになると思っていたし、自分の母もほとんどの時間を子供の為に費やしていたように見えたから、自分もそうなるだろうと思っていた。

初めての子供の検診の時は、受診するのは子供なのに、自分が自分でない人の名前を書いて受診することが不思議で、受付でこれは子供と私のどっちの名前書くんですか?と聞いてしまった。
子供の名前を呼ばれ、私が返事をするのも何か不思議だった。

SNSのアカウント名を〇〇ママにしている人を見ると、自分自身よりその子のママという立ち位置を重視しているように見えて、うっとなる。(勝手なイメージです。※ドラマ「海のはじまり」の影響)私はママとしての私より、私自身を見てほしいという願望が強いから、〇〇ママとできる人は素敵だなと思うのと同時に、私ってつくづく我儘よなと思う。
※子供を通してのドライな付き合いの場合は、〇〇ママでも大丈夫

他のママと寝かしつけの話になった。
寝かしつけに何時間かかったとか、何十分もずっとトントンしているとか。
私の寝かしつけは、絵本は数冊読むものの、自分が寝たふりをするという荒技だ。そのうち本気で寝てしまい、息子はいつ眠りに入ったのかわからないという始末。途中、息子にねぇねぇみたいにされて、私の方が眠くてイラっとして、眠いから寝かせてよ!と半ギレした記憶はある。ちなみにトントンは手が疲れるから1分くらいしかできなかった。

ずっと抱っこしてるのも重くてすぐ疲れてしまうから、家でも抱っこ紐を使っていた。

赤ちゃん連れママ数人でランチをした時のこと。もちろん、赤ちゃん用ランチは持参。お弁当箱に小さなおにぎりを入れてもってくる人、離乳食の瓶詰めを持ってくる人がいる中、私はバナナ1本で、周りのママにぎょっとされたことがある。未だにそんなにぎょっとされるようなことだったかなと思う。

仕事復帰を機に、一歳で息子を保育園に預けた。
持ち物に体を拭くタオルを持ってきてと言われた。先生がお年賀のタオルのようなもので構わないと言うので、本当にお年賀でもらったタオルを持たせた。
何かの機会で他の園児の持ち物を見たら、皆キャラもののタオルだった。

そんなことがちょいちょいあり、あれ?私は周りの母の感覚に付いていけないのか?と思った。尽くす精神に欠けているのでは?と。

ママ同士で話すと、子育ての悩みを共感し合えるので良いことももちろんある。でも、気にしていなかった部分を気にするようになることもある。
私の場合、私が気にしない部分のことを気にしているケースが多々あって、あれ?気にした方がよかった?みたいなことが多く、気にした方がいいかどうかについてひとり考え込んで、疲れてしまった。
次第にママ友同士の交流が億劫になっていった。

またここでも私は皆に馴染めないのか。
結局、子供の頃とあまり変わらないんだなと思った。

母になったからと言って出来るようはならない。出来る風を装うことは出来るけれど、心は疲れている。

私は運良く良いタイミングで仕事復帰が出来たので、これ以上ママ友との関係にも苦しむことはなかった。

子供が接点となっただけの関係。本当に色々な価値観がある。たまたま近くにいた人の価値観で自分の心が揺れて疲れるなら、離れたらいい。
離れて寂しかったら、違う場所を見つければいい。

子育てには正解がないというから、私の尽くし度が欠けてみえることも、不正解ではない。

息子が小学生になり、授業参観に行く。
子供が主役の行事なのに、私は他の保護者の雰囲気や言動を勝手に感じて勝手に受け取って、ぐったりしてしまう。
まだまだよな。

こういうコミュニティに上手く乗らなくてはという価値観を未だに引きずっている。
本当の本当はちっとも興味ないのにね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?