妖(あやかし)

短編ですが2分では読めません。
2013年の第一回『さばえ近松文学賞2013 恋話(KOIBANA)』で、佳作に選んで頂いた作品です。
関係者のみなさま、その節はありがとうございました!


昔々のこと。
河内の村(※)を見下ろす山の中腹に、 齢八百年とも言われる、桜の大木が あったんやと。

満開の花の頃はそりゃあ見事で、この世のものとも思えん美しさに、何やら薄気味悪ささえ、漂うせいやろうか。
人の命を喰って長らえとる、という伝説があっての。
村人たちの多くは、決して近寄らんかったそうや。

ほやけど、そんな話におかまいのう、しょっちゅう一人で遊びに来る子供がおった。

「多恵......また来たんか。おとっちゃんに叱られるぞ」
「わち、平気や」
「親の言うこと聞かん子は、嫁のもらい手がのうなるぞ」
「わちは華王(かおう)のお嫁さんになるんや、かまわん」

見目良い若者の姿をしてるけど、華王は人間と違う。
桜の妖(あやかし)やった。
そうと知りつつも、十歳の多恵は、華王をすっかり好きになってしもうてたんやな。

何百年も生きた木には霊力がついて、華王のような妖が宿ることもある。
ほやけど普通、妖は魂みたいなもんで、実体はないし、目にも見えん。
華王が人の姿で現れたのは、多恵のためやった。


ある時、村の子供らが山菜採りに山へ入って、多恵だけ一人、はぐれてしもうた。泣きなが らさまよううちに、偶然、桜の木のそばへ来たんや。
人喰いやと聞かされてた桜は恐ろしかっ たけど、泣き疲れ、歩き疲れた多恵は、もう動けんかった。

華王は可哀想に思うてな。慰めてやろうとしたんや。
ほんで、遠い昔に一っぺんだけ見た、 お公家さんの姿を借りたんやと。
何でも、五百年ほど前、都からこの辺りに鉱脈を探しに来た偉い人がいたそうや。そのお供の人らが、こんな山ん中まで、歩き回ったんやと。

「迎えが来るまで、うらが一緒にいたる。ほやから泣かんと、ここで待っときや」
多恵は初めて見るきれいなお公家さんにびっくりして、怖いのも泣くのも忘れてしもうた。
「......誰?」

くるっとした目をまん丸にしてる多恵は、可愛らしかった。野ウサギみたいやな、と華王は思うた。
「桜の、妖や。呼び名は、お前の村の者が昔、この桜に付けた『華王』でええわ。ほんまは家まで送ってやりたいけどな。うらは、この木のそばから遠くへは行かれんのや」

その頃、村では大騒ぎして多恵を探してた。
日暮れ時になってようやく、こわごわ近づいてみた多恵のおとっちゃんが、桜の木の下でスヤスヤ寝てる多恵を見つけたんやと。

眠ったまま村へ帰った多恵は、夢やったんかと思うて、華王のことは誰にも言わんかった。
けど、どうしても確かめたかったもんで、一週間ほど後に、また行ってみたんや。

華王は二度と姿を見せる気はなかった。
何百年も見守ってきた山を、些細なきっかけで人間に荒らされとうなかったんや。
ほやけど、勇気を出して一人で登ってきた多恵が、途中でやっぱり恐ろしなって半べそかきながら自分を呼ぶもんやから、ほだされてしもうてな。
姿を現さんわけにいかんかった。


ほれから多恵は時々、華王に会いに行くようになったんや。
そのうち、華王の方でも多恵を心待ちにするようになった。
どんな姿にでもなれる華王やったけど、多恵が喜ぶんで、いつも最初のお公家さんの格好で現れたんやと。

多恵は百姓の生まれやったけど、なかなかよう気のきく、賢い子やった。
山へ行く時は、用心してそうっと村を抜け出した。
その頃の農家では、子供も大事な働き手やったから、田畑の草むしりや虫追いは多恵の仕事やった。
多恵はしゃきしゃき働いて、他の子より早う終わらせ、暇を作っては華王のとこへ通うたんや。
ほやから、多恵が時々どこへ行くんか、誰も知らんかった。おとっちゃんだけは何とのう、わかってたみたいやったけどな。

華王と多恵は会うても、他愛ない話をするだけやった。それでも多恵は十分、幸せやった。
華王はいつでも、穏やかに多恵の話を聞いてくれたし、いやなことがあって多恵が感情的になってたら、やんわり諭してくれたりもした。

山ん中やから、時にはクマやオオカミが出たけど、 華王は生き物らと話が出来てな。多恵を危ない目には遭わせんかった。
「なぁ華王。ずっと一人で、淋しいことないのん?」
多恵がそう聞くと、華王は笑った。
「淋しない。一人やないからな。山には、いっぱい生き物がおるやろ。みんな仲間や。人間も、そうなんやで」
「わちらも?」
「ほうや。山が生きてるから、人も生きられる。忘れたら、あかんで」
「ふうん」
華王の話はちょっと難しかったけど、多恵は華王が喋ってるとこを見るのが、好きやった。



瞬く間に年月は流れた。
ほうして、出会うてから六度目の花を見ようかという頃。
多恵の縁談が決まったんや。親の言いなりに結婚するのが、当たり前やった時代や。多恵はなす術ものうて、華王の前で泣いた。

「いやや......華王に会えんようになる、そんなん、絶対いやや!」
大人になった多恵は、人と妖が結ばれることなどあり得んと、とっくに悟ってた。それでも、離ればなれになるのは、耐えられんと思うほど辛かったんや。

華王は鳥たちから聞いて知ってた。
多恵が嫁ぐのは峠一つ越えたとこにある村の、裕福な家の跡取り息子やて。
同じ百姓や言うても、めったにないええ話やと、多恵の家の者は大喜びしてるらしいってな。

「ほうや。今さら、逃げられてはかなわん。せっかく、頃合いを見て喰ってやろう思うて、てなずけておいたもんを」
驚く多恵は見た。
華王の姿が恐ろしい大蛇に変わって、今にも自分を呑みこもうと迫って来るのを。
慌てて逃げて行く多恵を見送って、華王は低くつぶやいた。
「多恵、幸せになるんやで」

嫁入りは、うららかに晴れた春の日のことやった。
盛りを過ぎた桜はハラハラと花びらをこぼし、まるで泣いているように見えたんやと。
多恵はあれから一度も華王に会いに行かんかったことを悔やんだ。
ほやけど、もう遅かった。心残りに胸を痛めながら、多恵は馬の背に揺られて振り返り、振り返りして、峠を越えて行ったんや。


六年が過ぎた。華王は年々、衰弱し、桜も花をつけんようになってしもうた。
そんなある日、鳥たちのお喋りから、多恵が実家に返されることを、華王は知ったんや。子供が出来んため、離縁されるんやと。
華王は考えた。放っておいても、自分の寿命はあと数年。
どうせ尽きるもんなら、残った力を全部使い切ってでも、多恵を元気づけてやりたいとな。

春まだ浅く、山には花もない、寒々しい季節やった。多恵は一人で、淋しい山道を帰って来た。嫁入りの時は大勢の人が見送ってくれ、嫁ぎ先の村でも、たいそうな歓迎やった。それが 今は......。
そう思うと勝手に涙が出てきた。重い足を引きずるようにして、ゆっくり歩いたせいか、とうとう日が暮れてしもうた。幸い、ちょうど満月の夜やってな。

ようやく、村を見渡せる峠のてっぺんに着いた時、多恵は、目を見張った。まるで自分を出迎えるかのように、夜目にも白い満開の桜が、月の光を浴びて咲いてたんや。
多恵は華王の元へと急いだ。ほやけど、その姿はどこにも見えなんだ。

「華王! わち帰ってきたんやで、顔見せて!」
「すまんなぁ、多恵。うらにはもう、人間の姿になる力がない。今夜で、お別れや」

多恵にはわかったんや。桜と共に、華王の命も終わろうとしてるんやと。
多恵は涙をこぼしながら、桜の幹をぎゅっと抱きしめた。
「わちも、獣や魚を食べて生きてきた。今度はわちが、華王の命の糧になりたい......」
「何あほなことを」

「わちは、どうせ人間の子は産めん体や。華王や山の生き物のためになるんやったら、嬉しいんや」
「多恵......」
「なぁ華王、お願いや。わちを、ずっと華王のそばに置いて。もう離さんといて」

まるで涙の雨のように、花びらが多恵の上に降り注いだ。
多恵はうっとり微笑んで、桜の木のそばに横たわったんや。

次の朝。村人たちは、花びらに埋もれるようにして、冷とうなってる多恵を見つけた。ほして、桜も枯れてたんや。
おとっちゃんは、桜が大好きやった多恵のために、その場に多恵を埋めてやったんやと。

こうして、一夜にして咲き、散った桜は、多恵と共に死んだ。
ほやけどな。数年後、そこに新たな若木が芽生えて、やがてまた、見事な花を咲かせるようになったんやと。

(※)河内の村
現在の福井県鯖江市、上河内の辺り。 明治になるまで「上」は付けず、「河内村」と呼ばれていたそうです。

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