小見山和子
自作の小説をまとめました。ほとんどは2分で読める短編です。
自作のエッセイをまとめました。全て、2分で読める短編です。
爆笑した漫画
撮り溜めた膨大な写真データの中から、気の向くままにアップしていきます。
(な、何だこれは……) ビリーは黄金のビリケン像を眺めて唖然としていた。 なぜなら、少しつり目でユニークな顔をしたその像が、自分にそっくりだったからだ。 上に掲げてあるプレートの文字を見て、彼はさらに驚いた。 〝幸運の神様〟だって? バカな! 周りの人々は彼におかまいなく、ビリケン像の足の裏を触ってキャアキャア笑ったり、神妙な顔つきでブツブツつぶやいたりしている。 彼らにはビリーの姿が見えていないのだ。 ビリーは、約六千万光年の彼方から地球にやって来た、異星人だった。
短編ですが2分では読めません。 2013年の第一回『さばえ近松文学賞2013 恋話(KOIBANA)』で、佳作に選んで頂いた作品です。 関係者のみなさま、その節はありがとうございました! 昔々のこと。 河内の村(※)を見下ろす山の中腹に、 齢八百年とも言われる、桜の大木が あったんやと。 満開の花の頃はそりゃあ見事で、この世のものとも思えん美しさに、何やら薄気味悪ささえ、漂うせいやろうか。 人の命を喰って長らえとる、という伝説があっての。 村人たちの多くは、決して近寄らん
「先生、私たちは生まれ変わったの。この新しい世界で、面白可笑しく生きていきましょうよ」 紅い唇に艶めいた笑みを浮かべ、女は龍之介に体を寄せた。 **************************** 1927年7月24日、芥川龍之介は死んだ。そして、2531年5月19日、彼は目覚めた。 白い壁に囲まれた部屋はとても眩しく、龍之介は天国に来たのかと思った。ある意味、それは真実だった。 食料生産技術の飛躍的な進歩と、世界の隅々にまで張り巡らされた物流網が、誰もが働か
若かりし頃。 人生に絶望し、自分が嫌いで嫌いでどうしようもなかった。 自分をこの世から抹殺すること。 それだけが、自分が世界に対して行える、唯一の貢献だと思っていた。 そんな時代を通り過ぎ、 今、とてもとても平穏に、日々の暮らしを送っている私が、 苦しみの真っ只中にいる人に、言えることがあるのなら。 生きていれば…… ただ、生きてさえ、いれば。 いつか、きっと、何とかなる。 何ともならずに死んでしまった人が沢山いることは知っている。 私が生き残れたのは、ただの偶然だっ
花火は嫌いだ。花火に限らず、夏のイベントには、なるべく関わりたくない。理由は私の二大ストレス源、「暑さ」と「人混み」でヘトヘトになってしまうから。 数える程とは言え、男性から花火見物に誘われたこともある。が、全て即行で断った。55にもなって独り身なのは、それが原因かも知れない。 こんな私が今日、花火を見に来たのは、80に近い母への、せめてもの親孝行だ。 家から車で30分ほどの場所に、大きなレジャー施設ができた。そこで花火大会が催され、遊具や乗り物も夜間運行をすると
あまりにも、トロくてバカな子供だった。ポヤ〜ンとして何も考えていなかった気さえする。私は3月生まれ。物心ついた頃から同級生の中で一番小さく、運動能力や知能やその他、何もかも周りより遅れていた……というのが、ささやかな言い訳だ。 中学に入ったばかりの春。生まれて初めて子供だけで、電車に乗って隣町まで出かけることになった。小学校5・6年の時の担任は、若い男の先生で、生徒にとても人気があった。彼を慕い、卒業後も連絡を取っていたクラスメイトが、隣町の学校に転勤になった先生に、皆
人が日々、幸せに暮らすためには何が必要不可欠か。 お金、健康、家族、仲間、仕事、自由になる時間、誰かと一緒に過ごす時間……どれも大切だが、絶対とは言い切れない。人によって求める「幸せの形」は違うし、そもそも「幸せ」とは主観的な観念だからだ。 大金持ちで美人の奥さんがいて、仕事も順調、子供達はみな優等生、そんな男がいたとしても、彼が幸せかどうかは誰にも分からない。もしかしたら奥さんの浮気が心配で鬱々としているかも知れない。常に水虫が痒くて幸せを感じる暇などないかも知れない