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専業主婦から28歳で就活!4社経験後フリーランスに。「我慢できない自分が嫌だったけど、今はどんどんわがままになってます」新垣ステファニー美香/テン職の光 #1

「転職=ネガティブ」なイメージを変えるべく、ポジティブな転職や、働き方チェンジで人生が好転した人を取材する企画「テン職の光 ~今を黒歴史にするためのワークライフストーリー」

今回取材したのは、28歳ではじめての就活を経験し、会社員として4社ほど勤めたのち、フリーランスとなった新垣ステファニー美香さん。周囲から「ステフ」の愛称で親しまれる、笑顔が素敵な女性です。

ステフさんは長らく専業主婦でしたが、初任給13万円~が基本だった当時の沖縄で、はじめての就活にも関わらず初任給18万円を実現した戦略家。その後、転職を繰り返したのちに、フリーランスの道に進みます。(ファンシップとも外部パートナー契約を結んでいます)

一時は、どの仕事も長く続かない自分を責めていたというステフさん。波乱に揉まれながらも自分の価値を模索し続け、切り開いてきたステフさんに転職のお話を聞いてきました。

〈取材・執筆:三好優実〉

28歳ではじめての就活!10社に断られるも、事業を活用し就職に成功

ー専業主婦歴が長かったとお聞きしました。就活するきっかけはあったんですか?

ステフさん:20歳で1人目の子どもを産んで以降、ずっと専業主婦をしていました。当時、家の家計は元旦那と同居していた母の2本柱だったのですが、私が28歳のときに母親のがんが見つかり、就活することにしたんです。社会人経験はなかったけど変な自信だけはあったから、いざ就活をして10社ほど落ちたときは本当にショックでした。当時、下の子が1歳だったので、そこがネックになっていたようです。

ー10社!それは自信をなくしてしまいそうです。それからどうしたんですか?

ステフさん:ある日、アグレを見ていたらとある人材育成事業が目に留まりました。お給料をもらいながらITの研修が半年間受けられるという事業で、「こんな素晴らしい事業があるのか!」とすぐに問い合わせて、入ることができたんです。

ーそれは魅力的!ではその事業を活用して就活を?

ステフさん:はい。だけど当時のわたしは、ただ就職できるだけではダメでした。実は当時、離婚も考えていたから、ひとりで子どもを2人育てるには、13万円くらいの給料では無理だと思ったんです。当時の沖縄は初任給13万が当たり前。研修生がたくさんいる中、技術も経験もないわたしが最初から給与交渉をするには「選んでもらえるポイント」がないといけないと思いました。そこで思いついたのが「英語」をアピールすることです。

ー英語!

ステフさん:IT経験は少ないけど、英語と掛け合わせれば需要があるかもしれないと思ったんです。あらゆる会社に「英語経験が活かせる部署はありますか?」と聞いてまわったところ、英語が必要な部署を立ち上げるコールセンターに出会いました。英語ができる人がすぐに必要という状況だったので、給与交渉をすることができて、試用期間経過後に初任給18万円で入社できたんです。

ーすごい!まさにベストマッチ!

支店長に抜擢!目標の給料が手に入るも、育児とのバランスに悩み、退職。

ーその後はどのようにキャリアを築いてこられたんですか?

ステフさん:働きながらどうやって自分のキャリアを築くかは手探りでした。そんな中「いつかこの人のように働きたい」と目標にしていた責任者が、転勤になったんです。すぐに後任は誰にするかの話し合いが行われて、候補にあがった同僚が「ステフがいいよ」と推薦してくれて。

ーすごい!大抜擢。

ステフさん:わたしもぜひやりたいと伝えて無事、支店長になりました。支店長のお給料が、当時「これくらいはないと離婚できない」って思ってた金額だったので、昇進を機に、離婚しました。

ー支店長になってからはどうでした?

ステフさん:めちゃくちゃ仕事人間になりました。実はわたしを支店長に推薦してくれた同僚は、のちにプライベートのパートナーになるんですけど、パートナーに支えてもらいながら、ずっと仕事に奮闘する日々でした。夜中勤務もあったので、パートナーが子守りと家事を全部済ませてくれている日も多かったです。

ー素敵なパートナーさんですね。ステフさんもはじめての就職から2年で支店長としてバリバリ活躍されてて凄いです。

ステフさん:とにかく子どものために稼がなきゃ!と必死でした。だけどある時期からパートナーと一緒に住むようになって、お金への執着がなくなったんです。ひとりで全部背負わなくていいやって。支店長の仕事は楽しかったけど、24時間体制で朝も夜も土日もなくて、子どもと向き合う時間がもてないことにモヤモヤしていたんです。色々悩んだ末に、チームで特別な賞を取ったのを節目に退職しました。

転職を繰り返し「仕事ができないから、こんなに短いスパンで転職するんだ」と自分を責めた

ーその後はどんなお仕事を?

ステフさん:その後は転職を繰り返して、3社ほど勤めました。だけどどこも長く続かなくて。1社目はマネージャ―ポジションで入ったのに、結局ポジションが立ち消えた上に、毎日夜遅くまで働いて精神的にも体力的にも限界が来てしまったんです。2社目では人事や総務の仕事をしていてそれなりに楽しかったのですが、どこか物足りなさを感じてしまって。3社目は入社半年ほどでコロナ渦に突入したこともあり、慣れない生活環境でのストレスや、上司とのコミュニケーションがうまくいかなくなったことなど、様々な要因が重なって適応障害と診断され、退職することになりました。

どの会社でも自分なりに一生懸命働いているのに、うまくやれないことが嫌になりました。結局わたしが悪いのかなって。どの会社でも楽しいことはあったはずなのに、適応できない。期待に応えられない自分が悪いんだ、仕事ができないから、こんなに短いスパンで転職するんだって、ずっと自分を責めていました。

ーつらい真っ只中のときって、そんな風に思っちゃいますよね。そんな状態から今、フリーランスに。なにかきっかけがあったんですか?

ステフさん:最後の会社を辞めた時、Facebookに「退職しました」とポストしたんです。するとギガスクール支援をやっている知人が「子ども達にパソコンを教えてみない?」と声をかけてくれて。それがフリーランスとしての一番最初の仕事になりました。

ーフリーランスになるぞと始めたわけではなかったんですね。そこからどのように仕事を増やしていったんですか?

ステフさん:ギガスクールの仕事と関連して知り合った企業さんから、行政系のキャリア教育のお仕事を手伝ってもらえないかという打診をいただきました。そこは週3日の契約社員として今も勤務していますが、毎年働き方をアップデートしていて、今は在宅で勤務できる日が多くなりました。今も少しやっていますが、今年から出社はなくしてもらい、業務内容に応じた報酬をいただくスタイルでやらせてもらってます。

ー小宮さんとも外部パートナーとしてお仕事されていますよね。

ステフさん:小宮さんとは人事担当をしていたときに、藁にも縋る思いで参加したセミナーで知り合いました。そこから5、 6年を経て、まさか一緒に仕事をすることになるとは(笑)。ずっとFacebookを拝見していて、小宮さんのアシスタントには興味があったのですが「私なんか無理だよね...」と思っていたんです。でも、これまた共通の知人が私を小宮さんに紹介してくれて、まずはやってみよう!という感じでお仕事が始まりました。今は、パワポ制作やチラシのデザイン、リクルートサイト制作のディレクションなどをやらせてもらっています。最初パワポの仕事をいただいた時は、パワポが仕事になるなんて!と衝撃でした。

案件を複数持つ、パラレルワーカー的フリーランス。

ー肩書きとか、専門性みたいなところってどんな風に名乗ったり説明していますか?

ステフさん:肩書きはいつも困るんだよね(笑)。まだ模索中。だけど漠然と「ステフにお願いしたい」って依頼してくれる仕事がしたいなって思ってます。

ー「ステフさんにお願いしたい」。

ステフさん:そう。2年前からアジアの高校生100人と沖縄の高校生100人をzoomで繋いでセッションする、という事業のオペレーションをやっているんだけど、今年に入って事務局の仕事にも携わるようになったんです。要は「こういうことしたいんだけど、何かいいアイディアありませんか?」を一緒にやる人。英語スキルを活かせつつ、意見も求められるのがちょうどいいなって思いました。「英語できるステフ」じゃなくて「ステフにお願いしたくてたまたま英語もできる」くらいがわたしには心地いい。わたしは「自分」として働きたいんだなって。だから英語が全面に出る仕事は逆に断っています。

ーなるほど。フリーランスになってみて、どうですか?

ステフさん:最初は不安もあったけど、案外何とかなってるなって感覚です。自分を責める気持ちはなくなったし、ここ数年で自分の性質がだいぶ分かってきた。会社員時代、琉大生向けにキャリア講話をする機会があって、その時に一緒に登壇した方が使っていた「パラレルワーカー」という言葉がずっと頭に残っていたんです。登壇した方の「10万円とか20万円の案件をいくつか持っているから、どれかひとつがこけてもやっていける」って話が妙に魅力的で。今はそこを目指して頑張っています。

ーたしかにその感じ、すごくしっくりきます。それにしても専業主婦から就活を経て、今はフリーランス。紆余曲折ありながら、一歩ずつ、丁寧にご自身の価値を見出してこられてるなって感じました。振り返って、過去の自分や道のりをどう思いますか?

ステフさん:今が一番好きで、過去のどの時代にも戻りたくないです(笑)。だけど、そう思えるようになったのは最近かなぁ。これまでは苦手でもやらなきゃ、我慢しなきゃって思ってたし、それができない自分が嫌だった。流れの中でフリーランスになって、できる仕事だけを選んでやるようになって「これでも仕事になるんだ」って分かってから流れが変わった気がします。

これは小宮さんとの関わりが大きいかもしれない。小宮さんが苦手なことはやらなくていいってスタンスだから、その考え方を自分に落とし込んだら、しっくり来たというか。だから今は9割くらいは好きな仕事をやってて、どんどんわがままになってきてる感じです(笑)。本当は小宮さんの仕事をもっと増やしたい(笑)。

ー9割!最高ですね。ありがとうございました!

Profile
新垣ステファニー美香/英語やパワポ資料作成、zoomの調整やデザインなど、様々なスキル×自分らしさを武器に働くフリーランス。2児の母であり、離婚後は同姓パートナーとともに、子育てと仕事に奮闘する。レシピや調理機器を紹介するInstagram「ステフ家の食卓」は1万フォロワーを獲得。


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