沖縄で採用コンサルをしていると様々な職種、様々な背景の人たちと出会います。
先日は出会った人はまだ20代なのですが、前前前職で、
「毎日、親方から殴られていた。」ので辞めたとケロッと話してくれました。
言うても、令和の話です。
さすがに
「おーい♡しっかりやれよー♡」
と小突かれたり、ツッコまれたりが強めの人なのかと聞き返したら…
「いや。ガチのやつです。」
と仰ってました。それでも彼はそこに1年半くらい居たそうです。
どこが「近頃の若い奴は根性なくて、すぐ辞める」やねん。
ただ象徴的だったのは、この会社に出向というか兼任で来ている担当役員さんも、全く知らなかったー…と驚かれていたこと。
経歴を知らないのではなく、そんな世界がすぐ隣にあることを知らない。といったご様子でした。
沖縄に50年以上暮らしても知らない現実があるのです。
僕はですね。その地域、その彼の学歴、今いる職種いろいろ総合的に見た前提として「あるあるー。」とすでの免疫ができておりました。
なにせ、沖縄の働く人たちの現場ヒヤリング1000人越えてますので。
沖縄に住んでいると、わかることがあるんです。
この小さな島は、実に細かくヒエラルキーのような属性のようなものが分かれていると。
親がそこそこ裕福で。
私立の高校…いや中学から通い、
有名企業や親の会社の2代目3代目を継ぐ者になる世界線の人は
映画やニュースになるような
こういうリアルに触れることは、本当にない。
しかも、興味深いのは
そこに分断や断裂はあっても
そこまで、お互い対立していないこと。
そして彼のように何かのきっかけさえあれば
過酷な現実から、「即、正社員で幸せな結婚と育児」の世界には飛び移れる現実がある。ということ。
いえ、もっともっと根深い家庭や背景の人もいます。
さすがにそこは、雇用の流動だけでは解決しないのだけれど
逆に言えば「たったそれだけ、たった転職だけ」で、
救われる生活もまた多々ある。
つまり社会福祉の分野に行かずとも雇用安定の分野だけで
劇的に変わる人生がある。ということ。
だからこそ、僕は沖縄は多様だ。と言っているし
多様であることをもっと多くの人が知れば
毎日殴られる親方のチームに「友人の親だから。」という理由で残り続けることもない。
沖縄エリートを糾弾したいわけでもなく
沖縄型貧困と言われる人たちを救いたい!と正面切って言えるほどの覚悟もありません。
僕は、22年前にきた外部の人間。そして家族を沖縄で持ったという立ち位置を活かして
どの階層、どの属性にも属さず
視野狭窄にならないように、できるだけ等距離で話を聞き、採用の仕事に活かしていきたい。
泉崎界隈で仕事をするエリート。
その中でも、正社員組と嘱託・派遣組の明確なライン。
恩納村以北にいて沖縄に住んでいるが
関東弁を話す、浅黒い日焼け肌をした観光客相手の人。
スピリチュアルとロハスを土台とした
自然派思考の人。
日当をもらい日焼けし
組織への忠誠より地縁血縁を重視している人。
誰がエライとか
誰のせいとかではなくて
僕の周りにはそんな見えない壁を
乗り越えたり、行き来する人が多くてありがたい。
もちろん偏見も差別もない。
ゆいまーるというのであれば、
いちゃりばちょーでーというのであれば
属性に分かれたままではなくて、ちゃんぷるーしてなければならないし、
それを僕が担えるのであれば、とてもやりがいのある仕事だなと思い始めたような気がしないでもない、採用の現場10年目の夏。