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沖縄から出たくて東京へ。時給や交通費の条件から離れて見つかった今の職場が「ちょうどいい」20代女性の話/テン職の光 #3

「転職=ネガティブ」なイメージを変えるべく、ポジティブな転職や、働き方チェンジで人生が好転した人を取材する企画「テン職の光 ~今を黒歴史にするためのワークライフストーリー〜」。

今回お伝えする転職ストーリーは、沖縄で生まれ育ち、現在は1児の母として働く仲宗根ますみさん(仮名)。どうして仮名かというと、今回はこれまでと比べ、取材記事ではないからです。少し説明します。

採用コンサルタントとして企業のヒアリングをしていると、様々な採用秘話に出会います。そのひとつひとつは紛れもなく「〇〇さんのストーリー」。だけど現在の会社に行きつくまでの歩みや心の変化、置かれた状況や仕事への向き合い方は、わたしや隣のあの人に共通するものが潜んでいます。

というわけで今回は少しだけ体裁を変え、小宮が各企業にコンサルティングしていく中で出会った転職ストーリーをお届けします。あなたの隣にいるかもしれないあの人の、転職のリアル。そこから何かを感じていただけると嬉しいです。

※本人の特定を防ぐため、人物の名前や地域、数字など、伝えたいことのニュアンスが変わらない範囲で情報を改変しています。

沖縄の窮屈さから脱したかった10代

仲宗根さんの現在のお仕事は大手家電量販店の販売員。お話を聞いた当時、彼女はまだ入社3か月でした。目の前にいる仲宗根さんはとても笑顔が素敵な人で、いい意味で「ここで頑張っていこう」と決めている表情をしているように見えました。まだ小さいお子さんがいることも影響しているのかもしれません。

10代の頃の仲宗根さんは、とにかく生まれ育った「沖縄」という地に、漠然と窮屈さを感じていたそうです。とにかく外に出たいという気持ちと、大学で学ぶことの意義が見い出せないという焦燥感。そのふたつが合わさって沖縄大学を約1年で中退し、「県外に出たい」という衝動のまま東京に行くことにしたのです。

当時は「とりあえず行ってみよう」という気持ちひとつでの上京だったため、家も決めずに友だちの家を転々とすることにした仲宗根さん。ですが当然、そんな生活は長くは続きません。ちゃんと家を借りて、東京に住むためには「一度沖縄に帰って働かなきゃいけない」と思ったのだそうです。(当時の仲宗根さんには、そのまま東京で働き、東京で暮らすという発想はありませんでした)

そこで仲宗根さんは、沖縄に帰って働くべく、求人情報をチェックするようになりました。

その時重視したのは「駐車場はあるか」「時給1000円以上」「交通費支給あり」など条件面。実は仲宗根さんには「美容業界で働いてみたい」という密かな夢がありましたが、まずは東京に戻ってくるために、お金を貯めないといけないと思ったのでしょう。今はやりたい仕事よりも効率的に稼げる仕事を優先することにしました。

その条件で探したところ、コールセンターか季節労働(※季節労働/季節によって仕事の量に大きな差のある業種での労働)の2択が残りました。結果、当時付き合っていた彼氏(のちに結婚する)と一緒に働こうと、三重県の「カップルOK」「寮付き」の工場へ季節労働に行くことにしたのです。

印象的だったのは、当時を振り返った仲宗根さんが「三重の方が沖縄より都会だと思っていた」と話したこと。彼女にとって「田舎」とは、便利さやビルの数ではなく、人間関係の狭さにあったのかもしれません。

季節労働から沖縄Uターン。念願のエステサロンで働くも...

三重県まで行ったものの、そこでの仕事は結果的に仲宗根さんの肌には合っていませんでした。仕事内容は単純作業が主で、特に大変ではありませんでしたが、夜勤もある仕事だったのです。夜遅くまで起きていることが苦手だった仲宗根さんは、体調を崩しがちになりました。慣れない土地で、彼氏しか知っている人がいない環境というのも大きかったかもしれません。結局、契約期間の途中でリタイアし、沖縄に帰ることにしました。

季節労働には挫折してしまいましたが、沖縄に帰ってからは前々からやってみたかった美容関係の仕事を探すことにしました。本当はお金を貯めて東京に住み、東京のエステサロンで働きたいと思っていましたが、沖縄でまずは働いてみようと思ったのです。

早速面接を受け、入社したのは個人経営の小さなエステサロン。仲宗根さんは頑張ってイチから技術を習得し、少しずつできることを増やしていきました。それなりに楽しく働いていたそうですが、入社して2か月が経った頃、妊娠が発覚しました。

妊娠・出産を経て、新しい条件で仕事探し。現在の職場へ

規模の小さいお店だったため、妊娠が発覚した後もほぼひとりでお店を回す状況が続きます。つわりがきつい日や、どうしても体調が悪くて出勤できない場合は休むこともできますが、お客さんのキャンセルの連絡は自分でしなければいけない職場でした。

仲宗根さんは、ようやくやりたい仕事に就いていたため「そういうものだ」と思いながら、なんとか妊娠中もその環境に適合できるよう頑張りました。

そんな頑張りもありながら、無事出産を迎えた仲宗根さん。ですが産後少しして職場に復帰するも、子どもが熱を出すたびにオーナーから「また熱が出たのかよ」ときつい言葉を投げかけられるようになりました。

このまま今の職場で育児と両立するのは難しい。そう思った仲宗根さんは、働いていたエステサロンを辞め、別のエステサロンを探しますが、子育てと両立できそうなサロンは見つかりません。

どうにか保育園と家事と仕事が両立できる職場はないか。そんな思いから、ある日職種や業種にこだわらず、家の近くで探してみることに。すると「子育て応援!」という文字が目に留まりました。それが現在の職場です。

家電には詳しくないし、販売の仕事も未経験。それでも恐る恐る面接に行ってみたところ、見事合格!さらに仲宗根さんの状況を面接時に伝えたところ、負担が少しでも減るようなシフトをオリジナルで組んでくれることになったのです。

入社後、早々に子どもが2回続けて熱を出したそうですが、それでも全然怒られなかったとのこと。現在仲宗根さんは、家電にはもともと詳しくないため勉強の日々。覚えることばかりです。ですが、元来の明るい性格と一生懸命仕事を教えようとする姿勢に、周囲も教えがいを感じ、期待してくれているとか。子育て世代の同僚も多く、育児の相談もしやすい環境なのだそうです。

小宮の視点

彼女の転職ストーリーは一見「成功」には見えないかもしれません。だけど僕がいいなと思ったのは、仲宗根さんが「いい職場に出会った人」の顔をしていたこと。そして彼女が今の職場だけは、思い込みのブロックを外して選んだという点です。

採用シーンでは時々「いわゆるホワイトカラーの仕事は、学歴や職歴がしっかりしている人じゃないと働けない」と思い込んでいる人を見かけます。だからそういう人はブルーカラーの仕事、仲宗根さんでいうと季節労働を選ぶ傾向がある。それが悪いとは言わないけど、あるはずの選択肢を「ない」ことにして、切り捨ててしまうのはもったいない。今回のようにホワイトカラーの仕事も、条件が合えば学歴や職歴がなくても入れるんですから。

仲宗根さんが職場を探すキーワードはこれまで「駐車場」「交通費」「美容」と、条件や職種だけでした。だけど今回初めて「子育て応援」というキーワードに立ち止まった。使い古されたキーワードではあるけど、仲宗根さんにとっては初めて、人間味のある条件に目が留まっているように思います。無意識にでも、そのキーワードのおかげで「ホワイトカラーの仕事は無理」という思い込みから抜け出せた可能性はあります。

これは僕の想像ですが、仲宗根さんはここに来るまで、自信を失ってたんじゃないでしょうか。季節労働で体調を崩し、やりたかったエステサロンも長く続けられなかった。もしかしたら「わたしは働くことに向いてないんじゃないか」って思ってしまっていたかもしれません。

だけど今、目の前の仕事にちゃんと取り組んでいて、上司からは期待され、同僚からは愛されている。こういう事例に出会った時「そうそう、そんな感じでいいの!」って思うんです。つまり彼女自身はなんの能力も上がっていないし、なんのキャリアアップもしていない。だけど評価されていて、働きやすさを感じることができている。業務内容じゃなく職場を選ぶ時、その方がよっぽど向いてることがあるんです。

もしかしたら仲宗根さんにとっては、エステサロンでの仕事の方がやりがいがあったかもしれません。だけど妊娠中に無理をさせるのは普通に危ないし、子どもが熱を出して「またかよ」って言っちゃうようなトップがいる会社は、個人的には早く淘汰されて欲しいです。

エステって、社会保険とか有休とか残業代とかの概念が全くなくても働いてくれる人がいる、いわゆる「やりがい搾取」が起こりやすい業界。そういう仕事をするのも本人がやりたいなら全然いいと思うけど、妊娠出産のタイミングじゃないと僕は思います。いつかまたエステ業界に戻るとしても、その職場じゃなかったし、今じゃなかった。

あと今後、子どもがもう少し大きくなって次の転職を考えたとして、その時彼女には「大手家電量販店で〇年働いていました」って経歴がついてくる。その頃には以前よりもっと、どこにでも行けるんです。

〈聞き手・執筆:三好優実〉


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