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日本の住まい 1

日本の住宅は約1万2千年前の縄文時代から始まり、地面に柱を埋めて建て屋根を葺いた「竪穴式住居(たてあなしきじゅうきょ)」に住んでいました。竪穴式住居の大きさは時代や地域により様々あるが一般的には3~4m程度の直径で50cm程度掘った円形に5本から7本程度の柱を建てて屋根を噴いて造りました。大きさにして20平米程度の広さで4~5人ほどの家族で生活していたようです。

竪穴式住居 吉野ヶ里遺跡

当時は狩猟採集の生活でしたが狩や漁に適した川や海に近く、当時井戸は無かったので飲み水の確保が容易な場所に定住用の住まいとして建てられ、石器や玉を磨いて作る玉つくりや有名な縄文式土器などを作り生活していました。
 
柱は地面に埋めて建てられます。簡素な工法ですが意外と丈夫でした。屋根は垂木を周囲に円錐状に並べ土や葦(あし)を被せました。内部には囲炉裏(いろり)が設けられ祭壇などもあったようです。大型の住居の場合には下で火を焚いて食料を乾燥させるための中2階の構造もあったようです。

屋根に土を被せた竪穴式住居 三内丸山遺跡

屋根は現在では地面から最も離れた上にある部分ですが、根という漢字が持つ意味は地面の中にある、あるいは地面から生えているという意味で当初屋根は地面に接していたということから付けられました。日本の住まいでは柱と屋根の柱から構成されており、床と壁が造られるようになったのは建物の規模が大きくなる後世となります。 稲作がもたらされ定住生活が一般化すると竪穴式住居と共により規模の大きな「掘立柱住居(ほったてはしらじゅうきょ)」が建てられるようになり、掘立柱住居は平地式住居とも呼ばれ地面を掘った柱で屋根を支える構造のものを言います。また食料の保存に適した「高床式住居(たかゆかしきじゅうきょ)」も建てられた。高床式住居は地面から床を離すことで内部が湿気にくく、柱にねずみ返しをつける事で食害を防ぎました。稲作は平地で人々は協力しておこなわないといけないのでムラが構成されるようになり家々の周りに外敵を防ぐための濠(ほり)を巡らせた環濠集落(かんごうしゅうらく)が出現しました。

高床式住居 吉野ヶ里遺跡
環濠 吉野ヶ里遺跡

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