想像力の限界とその広がり②

前回の記事では想像力とは何か、その像を捉えてみた。
今回は想像力にできることを深掘りしていきたい。

想像力を分類すると2つの能力になるように思う
(もっと考えればもっとある)

1.今ないものを創造する力
これは例えば、今世の中にないこともこうあったら、良いな、とか想像を、妄想を広げることで
人類はイノベーションを起こしてきた
2.他人を思いやる力
これは自身のことだけでなく他人がどう感じるかを想像することで、他者を思いやることができるし、
社会が上手く機能する。

このうち2についてもう少し深掘りする。
人間は社会的動物であるため、他者とのコミュニケーションが欠かせない。
現代は多くの伝達媒体に溢れているから、合理的に意図を伝えるということに関しては工夫の余地がある。

ただ最近思うのは人間をモチベートするのは非合理的な部分ではないのかと思う。単純に相手が好きかどうか、とかそれをやるのが楽しいかどうかとか。そうなった時に他人とコミュニケーションを取る上で必要なのが想像力だと思う。想像力を使って相手の側に立ち、”伝え方”に工夫をこらせるから。

また、人間的な振る舞いができるのもこの想像力の範囲においてだと思う。
知らないことや、想像できないことには共感できないし、
共感できず、受け入れもできなかったら人間関係はあまり上手くいかない

またもう少し大きな視点で社会を見た時に
コモンズの悲劇としても知られる私有財と公共財の問題もある。
公共財は汚れていくし、
タダ乗りをする人も多い。
この根底にあるのは想像力の欠如なのだと思う。

自分のしていないこと以外を自分事化できない。
だからこそ、パブリックを汚すし、タダ乗りが起こる。
ただこの想像力の欠如とは厳密には欠如しているというよりも
もともとこの問題を解決しうるほどの能力が人間にはないのだと思う。
もちろんそれらをしない人もいるが、する人もいる。

集団心理というか、人間の性質として、
人間らしい理性的な振る舞いを見せることのできる範囲とは、非常に限定的なのだと思う。
ダンバー数(人間が安定的な社会関係を維持できるとされる人数の認知的な上限)が100から250の間なのも頷ける。
あったこともない、アフリカの子供のために人生を捧げる人もいれば、ローカルで仲間のために働きかける人もいる。これは一見前者の方が想像力にあふれているように見えるけど、想像力を使う場所が違っているだけで、総力はそんなに変わらない。前回の記事のように想像力を小さい範囲で濃度を高く使うか、薄く伸ばして広い範囲で使うか。どちらにせよ、抜け落ちる部分はたくさんある。


だから私は人間という生き物を、
「とても愚かで醜いけど、ちょっぴり愛おしい」程度に考えている。

その愛おしい部分の割合は想像力の割合で、
そして”とても愚かで醜い”ように感じるのは世界規模での協働による弊害なのではないだろうか。

さて今回は想像力の実態を深掘りしてみた。
次の記事では、想像力の限界を認識した上で
想像力をどうやって駆使していけば良いのかを考えてみたい。

貴重な時間を割いて最後まで読んでくださってありがとうございます。
皆さんのお役に立てたことを願います。


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