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環境問題って解決しないといけないの?

ふと最近思ったことだ。

昨今叫ばれてるSDGsや持続可能性などなど、
そもそも持続可能で困るのって人類であって、人類いなくなった方が残り約百何十万種って数の生き物には利益が大きいんじゃない?とか思う。

持続可能性を模索して行くというよりも行くところまで行って、
人間が住めない、農業ができない、食糧生産間に合わない、
生活物資供給できない、みたいな環境まで振り切ってしまって、
一時は無秩序な世界になって、どこかで平衡状態が築かれる。

そんな未来の方が人間らしい気がする。
たくさんの人が死んでしまうかもしれないけど、消えるわけじゃない。
生きた証はどこかに残る。それでいい気もする。

こんなことを言う私だが、
個人的には環境問題、厳密には地球温暖化に対して温室効果ガスの削減は責務に感じている。

矛盾してる?まさしく。

つまりは、いわゆる環境正義って言う倫理観も、
国や、時代や、経済状況や、社会的地位や、育った背景などで、
人によってはどうでもいいことだと思う。
だって明日の生活で必死なのに、他のこと考えてる暇なんてない。

だからこそ、
環境問題って解決しないといけないの?って言う問いに対して
「しないといけない」と言う答えの元にある正義感は、時代やここの背景で相対化すれば一種のファッションでしかない。これは批判ではなくて、そういうものだと知っていると気持ちが軽くなるように思う。

人間は矛盾に満ちてる。
だからどういう顛末になろうとも、信条にしたがって、
行動を起こす。結果でなくその過程に賞賛を送りたい。

この記事を書こうと思ったのはEnvironmental Depression(環境鬱)の話を思い出したからだ。あまりにも現状が、行く末が悲観的で気分が塞がってしまう人もいるから。

さて、貴重な時間を割いて最後まで読んでくださってありがとうございます。皆さんのお役に立てたことを願います。


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