小説「恋愛ヘッドハンター」⑧
放課後、諒が校門を出ると黒ぶちの眼鏡をかけ紺色のパンツスーツを着た女性が立っていた。
「中島様!」
一昨日の電話と同じ声が近寄ってくる。
「あ、はい。そうですが」
緊張している諒の前に、れいかは名刺を差し出した。
「あらためまして、朝井れいかと申します」
名刺には、「恋愛ヘッドハンター 朝井れいか」とメールアドレス、電話番号が書かれていた。
「あ、どうも」
諒は名刺を受け取ると、軽く会釈した。れいかは惚れ惚れとしながらその姿を下から上、上から下へと眺めた。
「クライアント様のおっしゃるとおり、とてもカッコいいですね」
諒の頬に血が集まった。
「そ、そんなことないっす」
思わず顔を背けてしまう。
「謙遜なさらないでください。さ、どこかで話しましょうか。さっき、来る途中に素敵なカフェを見つけたんです。ごちそうしますから、行きましょう」
そう言ってほほ笑むと、れいかは歩き出した。諒は少し遅れてその後をついていった。背中まである自然な薄茶色の髪が風で乱される。諒は、れいかの後ろ姿を舐めるように見た。二十五歳くらいだろうか。そう予想した瞬間にれいかが振り返った。
「良かった。横見たらいないから、帰っちゃったのかと思った。お疲れですか?」
「え、いえ」
れいかが諒の真横へ来た。ふわりと甘い香りがする。
「あそこです。さっき言ったカフェ」
れいかの指さす方向には、緑色のパラソルがいくつか並んでいた。二人は言葉少なくカフェまで歩いた。
オープンカフェの席に座るとすぐに男性店員がオーダーを取りに来た。れいかはホットティー、諒はアイスカフェオレを頼んだ。
「今回、私に依頼してきたクライアント様は、中島様と同じスイミングスクールへ通われていた方です」
「へえ」
想像もしていなかった切り口に、諒は少しのけぞった。
「心当たりはないですか」
「ない…ですね」
考えてみたが誰も浮かばなかった。れいかの色素の薄い瞳が揺らいだ。
「そうですか。ちなみにですが、中島様は、今好きな人がいますか」
「ええっ。うーん、そうですね」
優輝と紗矢が寄り添って下校する姿が浮かぶ。二人の姿を見たり思い出したりするたびに、諒の胸が弱火で炙られる。
「ご様子を見たところ、その方に想いは通じていないようですね」
「え、まあ。そんなところです」
「お待たせしました」
若い女性店員がホットティーとアイスカフェオレを持ってきた。まだ、バイトを始めて日が経っていないのか、動きがぎこちない。紅茶の入ったポットをテーブルに置く手の色が悪い。続けてカップとソーサーをお盆からテーブルへと移動させるが、ずっとカタカタと音を立てている。茶こしは手放すのが早かったようでテーブルの上で軽く跳ね上がった。諒は彼女が少し心配になった。ふと、その面差しを見る。こめかみがじっとりと濡れていた。緊張しているのだ。視線を少し下に移動する。長い首の下にある制服の白いシャツは胸元が少し窮屈そうであった。彼女はアイスカフェオレとストローをテーブルに置いた後、ほっとしたのか小さなため息をついた。
「失礼いたしました」
一礼すると素早くその場を去った。
「可愛らしい人でしたね、一生懸命で」
れいかはぽそりとつぶやき、カップに茶こしを置き、ポットの紅茶を注いだ。
「そうですね。少し心配になりますね」
諒は彼女が厨房に消えていくのを見送りながら、アイスカフェオレをそのままグラスに口をつけて飲んだ。
「中島様が想いを寄せている人はどのような方ですか」
「女の子らしくて、可愛いです。でも、ちょっとずるいかな」
「ずるい?」
「中学時代から顔見知りではあったんですけど、その時は、交流とか全然無かったんです。でも、高校に入ってから急に話しかけられるようになって。嬉しかったんですけど。今、思えば僕の隣にいる友達狙いだったんだなって。その二人、今、付き合ってますから」
れいかはホットティーを飲みながら眉間にしわを寄せた。
「おつらいでしょう。よく学校へ行けていますね」
「それは、また別の話ですから。勉強はしなくちゃいけないし。でも、つらいっちゃあつらいです」
胸の中にできた低温火傷は治るのに時間を要する。
「クライアント様はとても穏やかでお優しい人です。中島様のそのおつらい立場を理解して包み込んでくれると思います」
「はあ」
「中島様、今まで女性とお付き合いをされたことは?」
「ないです」
「そうですか。絶対自分がすごく好きな人と付き合わなければ幸せになれないと思っていませんか」
諒は下唇を噛んだ。
「そうですね。理想、あります」
「でも、現実では好きな人に好きになってもらえていない」
二人の間に沈黙が訪れた。れいかは、二杯目のホットティーをカップに注ぎ入れた。夕方が近づき、風が冷たくなってきた。秋の風に乗った枯れ葉が諒の足元に吹き寄せられる。
「まず、愛されることに慣れていくという恋愛を始めてみませんか」
カップから目を離さず、れいかは静かに言った。
「愛されること…」
「あなたを愛してくれる女性がいるんです。そこで、色んなことを覚えていくんです。私が紹介する女性と会っていただけませんか。そして、もし、よろしかったらお付き合いしていただけないでしょうか」
諒は両手を振った。
「いやいや、その。おつきあいとかまだ」
「すみません。先走りました。ただ、そのクライアント様が中島様を深く愛するだろうという自信があったもので、つい。すみません」
れいかは頭を下げた。
「いえいえ。でも、あのう、会うだけならいいですよ」
「本当ですか?」
即座にれいかは頭を上げた。
「はい」
「じゃ、呼びます」
「え?」
れいかはスマホを取り出し、操作した。
「すぐ来るそうです」