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「あんたは私の娘よ!」
「Mwaramutse! Umukobwa wanjye!!」
(おはよう!私の娘!)
「Mwaramutse neza! Mama wanjye!!」
(おはようございます!私のママ!)
朝の職員室では、毎朝ママナンシーとこの挨拶を交わす。
ママナンシーは、活動先のフランス語の先生。
ナンシーは、長女の名前である。
ルワンダでは、子どものいる母親のことをママ〇〇と呼ぶ。
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活動をはじめてから数週間
ある先生が「リサは結婚しているの?子どもはいるの?」と聞いてくれた。
「結婚してないけど、彼氏はいるよ!日本で暮らしているよ!」と伝えた。
すると「離れて暮らしているの?彼氏はきっと別の女性と浮気するよ!」と言われた。
すると、ママナンシーが、その先生に「あんたね!そんなこと言わないの!浮気しません!」と睨みを聞かせながら大きな声でそう伝えていた。
日本とアフリカ。
7時間の時差でコミュニケーションも難しい。
2年間の遠距離恋愛。
不安でないはずがない。
そんな私の不安を感じ取って、その言葉を発してくれた気がして
私は少し泣きそうになった。
そこから、ママナンシーとはよく会話するようになった。
彼女は私とキニアルワンダ語でしか会話してくれない。
日本人の来客が来た時には流暢に英語を話すくせに。
キニアルワンダ語が少しだけ話せるようになったのは
彼女をはじめ、愛のある厳しさで接してくれた人々のおかげだから
とても感謝している。
ママナンシーは、自分のスタンスがはっきりしていて
嫌なことは嫌、どうして嫌なのかも合わせて人に伝えている。
言う時は言う。
私はあまりできないことなので、彼女のそういう姿勢を尊敬している。
その一方で、可愛げのあるマダムなのだ。
職員室で歌いながら、踊り出したり
イチャーイ休憩室で、頭にペットボトルを乗せて踊っていたり。
この文章を書きながら、彼女の姿を思い出して
ニヤけてしまうくらい可愛らしい。
私は、ママナンシーが大好きだ。
厳しさの中にいつも愛がある。
私が職員室で浮かない表情をしている時には
「どうしたの!そんな顔して!ハッピーじゃないの?
元気出しなさい!スポーツマンでしょ!」
と喝を入れてくれたり(笑)
風邪を引いてしまった時には
「生姜の効いたイチャーイを飲みなさい!
Tシャツばっかり着てないで、上着を持ってきなさい!」
と厳しいこというくせに、自分の上着を貸してくれたり(笑)
あと、Tシャツにジャージで出勤することが多い私が
キテンゲやワンピースで出勤すると
「見て!私の娘が今日はワンピースを着ているの!
今日は上着脱いで、ちゃんと周りに見せなさい!」
と引くくらい喜んでくれたり(笑)
「あんたは私の娘よ!」と本当の家族のようにいつも接してくれた。
そんな今日はクリスマスの次の日。
Boxing Day
24日、25日のクリスマスイブ・クリスマスには教会に行き
26日は家族で集まって、食事を一緒に楽しむ。
もちろん24日、25日に親戚・家族で集まる家庭もある。
人それぞれだけど、クリスマス期間は家族で集まる。
そんなBoxing Dayにママナンシーが私を招待してくれた。
10時から火を起こし、食材を切って、料理が完成したのは15時!
お祈りをして、みんなでご飯を食べて
お祈りして、いっぱいお話をしました。
彼女の親戚家族、総勢30名近くがママナンシーの家に集った。
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全寮制の学校に通っている彼女の子どもたち5人も帰ってきて
子どもたちや親戚に囲まれたママナンシーはとても幸せを感じているようだった。
料理をしている時は、一人ひとりに気を配って
子どもたちに指示を出している。
呆れた顔をしているのに、どこか幸せそうなのだ。
みんなが料理を食べ始めたあとも
せっせと皿を下げて、料理がなくなったら追加して
ご飯を食べていたのは、みんなが食べ終わったころ。
帰る間際には、一人ひとりと会話を交わし、熱く抱擁をしていた。
ご飯のあと、家族紹介が行われた。
その時に、ママナンシーの夫であるパパナンシーが
5人の子どもたちのあとに、
「リサも私たちの家族だ!立って!みんなに挨拶して!」
と私を紹介してくれた。
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キニアルワンダ語で挨拶をすると、
親戚の方々がたくさん拍手をしてくれた。
ママナンシーは少しだけ泣きそうな表情をしていた。
その姿を見て、私は泣きそうになった。
私の活動は、体育・スポーツ関連。
彼女と一緒に活動したことはない。
それでも、彼女はいつも私を娘のように接してくれた。
「あんた日本に帰っても、連絡しなさいよ!
あんたは私の娘なんだから、結婚式も呼びなさいよ!」
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ルワンダでの生活は嫌なこともいっぱいある。
それでも、ここまで過ごせてきたひとつの理由は、
ママナンシーの愛に包まれていたから。
帰る前にたくさん伝えよう。
「ありがとう」と。
そして、熱い抱擁を交わそう。